2001年12月、書肆山田から刊行された新延拳の第5詩集。装幀は亜令。
今回の詩集収録の詩を書いている期間は時間というものに興味をもっていた。ある時期からそのことに気がついた。まさに「輝きのない人生のくる日もくる日も、一様に、時間がわれわれを運んでく。しかし、時間をわれわれが運ばなければならない瞬間がいっかはやってくるものである。」(『シジフォスの神話』矢内原伊作訳)ということであろうか。時間については、物理学、哲学だけでなく、生物学、社会学、心理学などいろいろな分野で膨大な考察がなされている。しかし、時間を考え、少なくとも感じるには、詩の領域もその存在価値があるのではないかと思う。時はときに心が負った傷を癒してくれるが、時間という意識をもってから人間の苦悩ははじまったのだ、という考えは首肯できる気がする。ハイデッガーが『存在と時間』によって示したように、とらえどころのない時間が死という出来事によって実体を現すからである。この詩集は、時間というものにいくらかでも関わる詩を集めたものである。日暮れて道なお遠し、の感はやはり否めないが。
(「あとがき」より)
目次
口絵
<ミハエル・ファン・デル・デュッセン、妻ウィルヘルミナ・ファン・セッテンとその子どもたちの肖像>ヘンドリック・コルネリスゾーン・ファン・フリート、一六四〇年。
GemeenteMuseaDelft,StedelijkMuseumHetPrinsenhof,Delft,TheNetherlands
- 向こう岸
- 新千年紀
- 聖ミハエルの祝日に
- 画布の彼方へ
- 方舟時代
- 鏡の中のテロリスト
- 失われるもの
- そしてだれも
- 船を待つ
- 陽炎異聞
- 螺旋を降りる
- 帽子をとって
- 立ちくらみ
- よき灰に
- 翔つ
- 過去が大きくなるのは
- 死は
- 窓について
- 焦げた音符
- 幽霊は死んだ
- 樹の蔭に
- 補助線を引く
- 知りません
- 君になる