1977年6月、創樹社から刊行された菅原克己の随筆集。装本は高頭祥八。
たいていの人は、その生涯の中で、思いがけぬ驚くべき事件にいくつか出会っているものだが、ぼくの場合は、特にそれが青春期に多かったように思われる。そして、若く、駆け出すようにこの世に踏みだしたとたんに出会ったことというものは、経験をつんだ後の年代の出来事よりも、記憶の中に鮮烈に焼きついて、なかなか消えないものである。ぼくが二十三歳のときに遭遇した、共産党の「スパイ事件」もその一つである。今でも当時の状況を思い出すと、ふいに陽が翳るようだが、そこのところでつぎつぎに、いわば胆を冷すような驚くべきことに出会いながら、なお未来を信じて疑わなかった、稚なく一本気だったかつての自分に声援をおくりたいような気がする。
この時代に戦後の経験がからんだものが「遠い城」である。この二百枚の作品は、あるとき吹きあげるようにしてでき上ったといっていい。そしてこれは、ほんとうはぼくの〈かなしみの歌〉のようなものなのだが、事情があって、長い間発表する機会はなかった。
その後で書いた自伝風な「詩と現実の間」は、「遠い城」の前の時期の記録であるが、これは残念なことに、連載していた季刊誌『共和国』が休刊したために、中断せざるを得なかった。しかし、偶然ではあるが、時代的にはそのまま「遠い城」につながるところで終っていたのである。
いま「詩と現実の間」を読みなおしてみると、この青年期の最初の頃は、なんと好奇心に満ち託のない日々をおくったことだろう。それは「遠い城」のかなしみに対して、逆に〈陽気な歌〉とでもいうべきものなのだが、しかし、それは「一すじの口笛の音」のように、なお「遠い城」の中にも響いているものなのである。
この二つの作品を(特に「遠い城」を)、政治的な観点だけでみないでほしい。これは一人の詩人の生き方であって、詩人というものが、もしも自分に正直であろうとするならば、どんなにしても、時代や、政治や、そこでの状況につき当らざるを得ないことをいいたかったからである。「驢馬の鈴」は折節に書いたものの中から集めたのであるが、気楽なものが多く、ぼくの内輪の、もう一つの面を知ってもらえることと思う。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 遠い城――ある時代と人の思い出のために
- 1ぱん屋の対話
- 2「町のともだち」
- 3二重廻しのキリスト
- 4<おばさん>
- 5ポリオの娘
- 6「人民の敵」
- 7朝のノート(一)――スパイについて
- 8朝のノート(二)――スパイについて・続き
- 9党のなかの被告
- 10練馬南町一丁目
Ⅱ 驢馬の鈴――歴史と個人のパラドックス
- 詩人の家計簿
- 昔の友だち
- わが詩わが夢――戦時下の記録
- 夢と叛逆の来歴――岡本潤・覚え書き
- おさかなとトマト・ケチャップ――対立・男と女
- 雨についてきた子――亡くなったある少女に
Ⅲ 詩と現実の間――一つの〈私史〉の試み
- 1アンデルセンの言葉
- 2『愛の詩集』と姉のこと
- 3わが師、中村恭二郎
- 4三・一五事件の年
- 5師範学校のタワリンチ
- 6昭和三年、四年という年
- 7早川二郎さんに会う
- 8カジノ・フォーリー
- 9小森の放校とストライキ
- 10珍妙なハンスト
- 11母親のパン
- 12画学生時代
- 13「マルマルピケピケ党」
- 14不幸な友だち
- 15死者にはよきことのみを……
- 16「日がきたら……」
- 17「パリの屋根の下」
- 18はじめてのプリンター
- 19戸越の思い出
- 20初期抒情詩
あとがき