1999年8月、角川書店から刊行された近藤節子の歌集。古今歌集叢書105。
気がついたら庭の杏が、今年も白い花を沢山つけていた。ここに植えられた頃は、やはり多くの花が咲き、たわわに実をつけた。がその後の事は余り記憶がない。実の成る頃は小鳥が何処からともなく集り、何時の間にか啄んでしまい種子だけが残っていた。夫の亡くなった年は珍しく目を見張るほど花が咲き明るく華やぎ実もつけてくれた。夫は「きれいだ」と眺めていたが、実のほうも沢山に食べた…。
芝生を挟んだ反対側にレモンの木がある。実は大きいがまだ青い。この木の前に立つと無意識に枝ぶりの良い綺麗な葉を探してしまう。たの子先生が、葉のついたレモンを喜ばれたので、帰国の時は何時もお届けした。先生の亡くなられた今は、形の良い大きなのを一つ枝に残しておく。この木に倚ると、西荻の古今草舎で先生と対座した頃の事が思い出され、たの子先生のお姿が彷彿とする。私が初めて先生とお会いしたのは一九七七年の年である。知人の用事でお訪ねした折、地理不案内の私のために西荻の駅迄お出で下さった時である。日本での滞在を終え、アメリカに戻る前に私は再び古今草舎にうかがった。その折、先生はつぶやくようにこうおっしゃったのである。
「一緒に歌の勉強が出来たらいいですね…」
小さな声であった。先生のお人柄にひかれ、このままお別れする事に何となく心が残っていた私が、歌の勉強をと思ったのはこの時である。短歌のことなど分からないのに古今のお仲間に入れて頂き、それから私の生活の中に、喜びと苦しみが加わる。
古今草舎が関町に移った頃、例年のようにお訪ねしたが、たの子先生が「歌集を出しませんか…」と云われた。その日は具体的な話しなどはなく、そのあと先生は病院生活を送られるようになり、消息は人づてに知るのみで過ぎてしまった。私の方もウィーンに於けるハープのコングレスや、修道院に在る旧友の引率する巡礼等々で日を過ごしている間に夫に病気が見付かり、一年余の入院と療養を繰り返しつつ彼岸に去ってしまった。夫に従いてアメリカに居を移し、三十余年の歳月が過ぎていた。
ニューヨークからカリフォルニアへ、そしてここサンタモニカに定住して、四半世紀余りが終っていた。娘はイギリスに一人住んでいるので、この広いアメリカに私は一人暮しを余儀なくされたのである。いろいろの処理のため、何度となく太平洋を往き来していたある日、絶えずご心配頂いた龍生先生ご夫妻をお訪ねした折、歌集のお話が出て、サンタモニカに在って何も出来ない私は、一切をすべて先生にお願いして、未だ用事の山積みするアメリカに戻ったのである。
サンタモニカの碧い空を眺めつつ、この地に逝った夫の三年忌を前にして、七十も半ばなを過ぎた今、これからの一人の暮らしを思う時、世紀のかわるように私の人生も節目にあるのを思い、この歌集を前半生の名残とし、これからの私の支えとなればと願うのみである。
(「あとがき」より)
目次
・如月の記憶
- 古今草舍
- コップの重さ
- 時を戻して
- 家ひとつ
- 華氏百度
- わが意
- ストーム
- 椿の花
- 余震
- メキシコ人の目
- 麻左さんの死
- 香たき継ぎて
- 芽吹ける
- 樹の外科医
・脳裡の絵画
- ぶだうの村
- イギリスにて
- 脳裡の絵画
- 命の水
- 一週間が過ぐ
- カリフォルニア
- 折目解く
- 夏時間
- 風力羌電機
- 一つの旅
- 独立記念日
- 確かむる
- 人間と熊
- はるか儚く
- 土砂降りの雨
- 生きる義務
・日本に帰る
- 日本に帰らむ
- 二人病めば
- 舞台女優
- 二人の家族
- カーテンの白
- ある昼
- 貧しき色
- 未来のことも
- 女の神
- 日暮るる
- 豪雨のあと
- 身めぐり
- 天を仰ぎぬ
- 如在
- 安堵の吐息
- 産土なれば
- 夫の幻
- 残せるもの
- 白昼夢
脳裡の絵画を詠う 福田龍生
あとがき