琥珀截りたる 竹村紀年子歌集

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 1989年11月、短歌研究社から刊行された竹村紀年子の第1歌集。中部短歌叢書第128篇

琥珀截りたる』という美しい題名をもつこの歌集は、春、夏、秋、冬の四つの章にわけられている。季節の部立の型がいちばん理にかなったこととして、作者竹村紀年子に選ばれた。そして歌集をたどっていくと、「お水取り」「雛祭」「宵山」「五山送り火」「紅葉狩」「歳晩」といった季節の節目の風物や行事が登場して、歌集一冊の形態を整えている。

夕ぐれに匂ひ溶けゆくさくらばな春に見るべきものは見果てつつ
面ざしを頒ついのちも生さざればわが世かぎりの花に対はむ

 花では何が一番好きか、と問われたら、竹村は恐らく「桜」と答える人ではないか。もちろん彼女は『細雪』の女性と同じように、『古今集』の昔から読みつがれてきた桜の歌を――何という月並なと思いながら無感動に読み過した日もあったかもしれない。しかし、歳月を経るにつれて、昔の人の花を待ち、花を惜しむ心が決してただの言葉の上の「風流がり」ではないことを、やはり『細雪』のあの幸子のように「身に沁みて分る」ようになった、と思われる。
 竹村紀年子にはもっと好きな花が別にあるかもしれない。しかし誰かから問われるという「公」の場に立てば、小さな私情などいかほどのものでもない。花ならば「桜」、魚ならば「鯛」と応じる美意識を彼女は備えている。花に託して「春に見るべきものは見果てっ」と断じるとき、彼女は伝統というものとおのずから黙契をかわしているかのようであり、それがまた「わが世かぎりの花に対はむ」という措辞を生む。
 竹村紀年子は愛知県第一高等女学校時代、松田常憲の秘蔵っ子だったという話を聞いたことがある。そうであったろう、常憲がこの女生徒の才質を見抜かなかったはずがない。しかしながら竹村は、その後短歌とは関わりのない生活を送ったようで、晩年の春日井廣と出会って、はじめて本格的に作歌と取りくんだ。
 私にとって思い出深いのは、渡没後最初の「短歌賞」を彼女が受賞したことである。受賞作品中には、

撒水に虹たたしめていま少し老いに程ある夏を棲むなり

といった作品がある。決して若いとは言えない短歌への出発ではあったが、満を持しての出発であり、最初から余裕をもった、若書きというものを持たない出発だった。

 のちに知ったことであるけれども、竹村の曽祖父は国学者野村秋足である。彼は明治政府による学制施行に協力、国立愛知師範学校が創立されると招かれて国語文法、日本地理を講じた碩学だった。そして秋足が何より私たちに親しいのは、彼が「蝶々、蝶々、菜の葉にとまれ、菜の葉にあいたら、桜にとまれ」という、あの学校唱歌の作詞者であることである。
 生まれつきの文学的素質があり、学生時代に短歌に目ざめていた竹村だったから、作歌活動に入ったのが遅かったとはいえ、その作品が初めから型になじみ、伝統を知悉していたのも当然であった。

木の性も枯れつくしたる造型に若き菩薩の思惟は匂ふを

 たとえばこの一首、造型=形と思惟=心とは、枯れたものと若いものという相反するものでありながら、きわめて調和のとれたものとしてうたわれて、菩薩の均衡のとれた美を伝達している。長くつづいた型に若い心を盛る――、これが伝統というものであろう。

春雨といはばやそぞろ底冷ゆれ若狭ゆ闘伽を奈良へ送る日
形ばかりに飾りて蔵&古雛のみじかき女夫の逢ひはかなけれ
〈咲きも残らず散りも始めず〉と読み初めきかの横笛が哀恋の書
観世音み唇の朱のかなしかり過去世の姉に逢ふ心地して
唐織につつむをとこの肩幅を安けく統べて花の小おもて

 草稿をぱらぱらとめくって初めの方にある作品を任意に写してみた。それぞれ彼女の見る形と心との関係を示す歌であり、同時にいかにも形と心との調和のとれた歌でもある。
〈咲きも残らず散りも始めず〉は横笛の哀恋の書ばかりではない。彼女自身歌を読み初めたのがそのような盛りの時期であった。「花の小おもて」は、能の「楊貴妃」を題材とした連作中の一首であり、舞台の属目と見えて、その美意識によって引かれたデッサンの正
確さはまぎれもない。
 私の好きな作品に、「ほろび見果つる」一連がある。これは父母をうたった「風の音」のあとに載るもので、「母の言葉借りて聞きたる亡父のこ宝生〈田村〉三部屋を透る」など、凜としてさびしい歌の余韻とともに読み進むことになる。

嫁してわが廃家となせし生家の紋いまもさやけし父祖の位牌に

にはじまって、「鎧櫃にみあかしあげて歳の夜の祖母は家霊のごとくありにし」「こまごまの朱註曽祖父が筆のあと朱は身に繋ぐ血の色に似て」「拝領のさくら蒔絵の文机に凭るものの影見しそらごとも」「をとめゆゑ見せられざりし極彩の笑ひ絵敷きて焼けし鎧や」などを経て、

忘るるが慣ひとなりぬ血脈のほろび見果つるべくは生れしに

で終っている。抑えても抑えられない嗟嘆のひびきがこもり、竹村としては珍しく心が形を超えようかという一連で、誇らかな血の末裔の放胆でありながら醒めた抒情が展開されている。わけても「笑ひ絵」を敷いた上で鎧が燃えるというイメージの濃密なあやしさは印象ふかい。艶なるものと武骨なるものとの交情は、虚の境のことながら、いやそれゆえにいっそうその魂麗さが官能的でさえある。

 歌集の題「琥珀截りたる」は、

身の影を敷きて眠らな灯を消せば琥珀截りたるごとき月の夜

 ただただ美しいこの一首から採ったもの。竹村の歌は、どれも、どこかに、この「琥珀截りたる」断片を宿しており、強いてその歌に欠けたるところを探せば美しすぎることだろうか。しかし、彼女の理知は時に耽美に堕ちようとする情をおしとどめて、心と形、美と倫理、合理と幻影といった関係をひきだすことによって、緊張した歌空間を成立させている。
 ところで竹村の夫君は自然科学者である。「学会は四国歌会は由比が浜かたみ旅程の秋潮のいろ」ともうたわれる夫君を題材とした作品を眺めてみよう。

露ぐもるガラスに数字・化学式夫の長湯も三十年のこと
遺伝子操作の研究みづから封じたる夫か神よりおのれ惧れて
ビーカー、フラスコ、若き謀反に囲まれて夫がひと生の夢畢らざる

<未知>とよび証さざる間のしつけさにバイオ研究室の窓灯る

 対象によっては、「琥珀載りたるごとき月の夜」と放恣にのめりこむことも辞さない竹村も、自然科学、そして夫君には、このように慎ましい距離を置いたさりげない言葉と散文的な律調をもって作品化している。この距離は対象にむける尊敬の念の表れであろう。
 今日、中部短歌会には有為な若者たちが幾人かいる。斬新な文体の冒険をする気鋭の作者たちも多い。それだけに竹村紀年子のような伝統的な立場に立ち、しかも伝統を固守するだけではない理性をもつ作者がいることは嬉しいことである。彼女の存在は、新しい文体を工夫する者にとっても刺激となろう。
(「序/春日井健」より)

 

 八、九歳のころでもあったろうか、はじめて"歌らしきもの"を書きつけた私のノートに、その題をせがまれた母は即座に筆をとって「蔦若葉」と書いてくれた。曽祖父や瓦之が「蔦廼屋」と稱したこと、母が実家の紋の「大割蔦」をつけて嫁いで来たことなどを知るには、私にさらに数年の歳月が必要だった。
 私を母の胎内に残して欧州へ公務出張した父が、車の事故のためナポリで急死したのは故国の梅雨のさなかであったという。
 毎年八月、盂蘭盆が来ると母はいそいそと精霊棚を設け供物を調えた。一粒種の私を擁してひたすら祖母に仕える母が別人のように活気づく盆の三日間は忽ちに過ぎて、やがてもの悲しい晩夏が訪れた。
 そんな少女の日々の私に、新しい短歌の眼を開いて下さったのは女学校の国文学担任の松田常憲先生であった。若木が水を吸うようにその熱い講義に聞き惚れたものである。
 成人した私は私自身の季節を生きた。母が大切に守った古い家は戦災で一気に滅び、私は職業をもち、結婚もした。戦後の嵐の時代は今更言うまでもないが、その苦労といえどもさかりの身には生甲斐でさえあって、日々の充実を愛しつついつしか短歌からち遠ざかっていた。
 昭和四十九年暮に長年の職を退き、数少い肉親をもすべて喪って、今は夫と二人の静かな明暮となった私が心の支えとして求めたものはやはり短歌であった。かつて知った甘露の味を訪ねるように名古屋の結社を探すうち、ふと目にとまった中部短歌会へ何心なく照会をしたところ、思いもかけず主幹春日井濵先生から墨蹟匂うばかりのお懇ろな返書が届いた。これがその後の私の歌に関わるきっかけで、この芳書はいまる大切に文箱に納めてある。
 銀髪のかがやく颯爽のお姿が…、文化センターの廊下までも透って百人一首を講ぜられる朗々のお声が…、”脱線”と自称される歌評の合間の豊かな話題が…、故先生十年忌の今なお彷彿とする。
 当時の私自身の文章から引いてみよう。

「思えば私は、先生ご晩年の最う歌歴の浅い未熟な弟子であった。いかなる奇しきご縁であったのか僅か五年の短い歳月ながら、大きくあたたかい先生のご人格に余すところなく触れ、ご慈愛に満ちた数々のお導きにあずかった―(中略)―すでに大方のわが人生を成し遂げたような思い上りから、軽い楽しみごころで踏み入った短歌の世界で、私は再び新しい人生を知ったのである」。

 春日井濵先生、政子先生、建先生と二代にわたって私がお受けしたご恩の大きさは到底測りきれない。その上にまた今回は建先生より歌集上梓のおすすめをいただき、ご多用中を身に余る題名ならびに序文を賜った。ただただ心からの感謝を申し上げる。
(「あとがき」より)

 

目次

序 春日井建

・春

  • 春寒
  • 永日
  • 悼 春日井瀇先生
  • 夕ざくら
  • 楊貴妃
  • キャッツアイ
  • 猫のゐる涅槃図
  • 人形たちの客
  • 花明り
  • 流し雛

・夏

・秋

  • 秋立ちぬ
  • うす紅一華
  • 木犀匂ふ
  • 高野山
  • 天気図
  • 時雨して
  • 面変ふるまち
  • 壇の浦片々
  • あきかぜ
  • 絵巻切断
  • 風のゆくへ
  • 香嵐溪
  • きたきつね

・冬

  • 光太郎の小屋
  • 大寒
  • 能登
  • 風の音
  • ほろび見果つる
  • 噴水広場
  • 越年

あとがき

 
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