2003年10月、書肆青樹社から刊行された松岡政則(1955~)の第3詩集。装画・装幀は丸地守。第54回H氏賞受賞作品。
言葉を押して押して押しまくってふっと止める。その時止めてもなお微かに動くものがある。或は抑えても抑えても指の間から(行間から)溢れ出てくるどうしようもないものがある。この頃、それこそがぼくの求める詩のような気がしている。〈荒々しさから立ち上がってくる抒情〉、そんなものを期待しているのかもしれない。〈文体〉とか〈字面〉という語があるが、ぼくは作品から〈筋肉〉や〈血管〉みたいなものを感じてもらえたらと思っている。詩がおもしろいのは、そんなことがなんか可能に思えてくるからだ。そして何よりも自分で考え、自分で決める。これがなんとも気持ちいい。何を書いたかよりも、何を書かなかったのかの方が大切なことだったりもする。だから詩はおもしろい。何となく文字を眺めていたり、ああでもないこうでもないと言葉を弄(いじ)くっていると、そこになんとも不思議な力が生まれ出すことがある。あれがいい。あの柔らかな光は堪らなくいい。そうやって、詩を書くことでしか分かり得なかったことがずいぶんあったし、逆に書いても書いても自分だけはどうにも許せなかったということもある。それはたぶん、ぼくが不特定多数の読者に向かって書いてきたのでも、たった一人の誰かに向かって書いてきたのでもなく、ぼくはずっとぼく自身に向かって書いてきたからなのだと思う。何れにしても、〈詩とは何なのか〉。〈詩の本質とは何であるのか〉。そんなことはなかなか言い得るものではないのだろう。ただ、ぼく自身に引き寄せてみるなら、これだけははっきりと言うことが出来る。詩を書くことではじめて、ぼくはしっかりと<ムラ>に帰ることが出来たのです。
(「あとがき/詩はおもしろい」より)
目次
- 背戸山
- それはもう熱のような「歩く」で
- 草の先
- ICU
- カワガラス
- 雨
- 差出人
- 母はぼくの夢だった
- 「背戸山節」
- 橋
- 歩きまくる夜
- 金田君の宝物
- <一所不住>声
- 休日には草の船を出す
- 夜の郵便ポスト
- 心筋梗塞
- 草の一日
- 空が痛くなる
- 川に飢えている躰だった
- 道
- 野分
あとがき
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