土の歌 中村孝助歌集

f:id:bookface:20210731095455j:plain

 1948年12月、尚学社から刊行された中村孝助(1901~1974)の選歌集。画像は裸本。装幀は長嶋武彦。

 

 この選集を出版するにあたつて、「その歌」と「野良に戰う」の部わ、尚學社の花村誠哉氏に選歌していただいた。若い花村氏の好みがあざやかにあらわれたのも大いに結好。
 今年の春頃、二十數年前の同志で「土の歴史」(御牧原)の作者小山啓氏とはからずも再會したのが機縁で、氏の理解ある盡力の結果いつたん埋もれた作品が、再び世に出られる運びとなつた。「農民小唄」ゆ小山氏の要望により附錄とした。
 「土の歌」の全貌わ、この選集のみでわ知られないにしても、戰爭前の日本にかような歌が存在した事實を廣く知ってもらえれば滿足である。かな使いわ、すべて發音通りにあらためてみた。口語短歌と呼ばれる話言葉・くち言葉・今言葉による短歌の發生とその生長に關する私の研究と意見わ他日にゆづるがすでに明治三十六年アメリカに遊學した青山霞村が、中途病氣のため日本に歸り、三十九年(石川啄木二十二歲の時)に一冊、四十三年に一冊、合せて二冊の口語短歌集を發行して、日本の文學界に問題を投げかけていたのである。啄木わこのことを知つていたかどうかわからないが、とにかく日本の短歌界にわ、いち早く封建臭い殻を破つてみごとに起ち上った先覺者が、啄木と時を同じくして現われていたわけである。
 後になればその國のあるいわ世界の誇りとなるような先覺者も、ながい間なかなか理解されることなく、あるいわ理解されても故意に黙殺を受けたことわ、藝術わもとより、自然科學の方面においてもあまりに多かつた實例わ、世界中いたる所に見られた現象である。
 今や、ゆがめられない眞實の近代短歌史の一半として近代口語短歌選集が、讀書界におくられる日の必ず近いことを信ずる。
 ずぶの素人の習作にちがいない私の第一歌集「土の歌」わ、發行當時、封建的歌壇なるものを除いた各方面の諸氏から意外の反響を得たが、なかんづくスパルウィン博士が、その著書「横目で見た日本」(新潮社發行)の中で、二十八頁にわたる「土の歌」の懇切を極めた解説と批評をおこない、露語譯の「土の歌」を刊行のため翻譯原稿をソ聯に送つたことわ、私の今なお感激を新たにするところである。當時、スパルウィン博士から私宛に送つた筈の書簡わついに手許に届かなかつた。外事課の特高共が破廉恥なしかし當然な沒收をしたものと思う。聞くところによると、博士のその後、ソ聯大使館書記官より東支鉄道長官に轉じて、ハルピンで病死したそうである。また博士が共產黨員でわなかったということで、毒殺されたとの噂も飛んだが、眞偽いづれかわ、ソ聯に送られた「土の歌」の運命と共に一切不明だ。
 「農民小唄」もスパルウィン博士を含めた三人のソ聯人が持ち歸つている。かつて、モスコゥのプロレタリア文學出版所から、谷崎潤一郎氏の「痴人の愛」が出版された事實さえあるのに、「土の歌」も「農民小唄」ソ聯の國禁の書にされたものならば、大いに參考になると私わ思う。
 口語短歌こそわ、素人大衆の歌、定型・非定型を超えた、まことに自由な歌、宗匠や先生なしに我流で作れる歌、中央歌壇・地方歌壇としめ縄張つた舞臺も監督も無用な歌である。そして萬葉集の本質と精神を眞に正しく今日に受けつぐ、最も新しい――明日え明日えと生長しつづけてゆく歌である。
(「あとがき」より) 

 


目次

  • 「土の歌」樂譜
  • 土の歌
  • 妹よ
  • 地球から
  • 二十歲
  • 百姓女
  • 土深く
  • おもい出
  • 親と子
  • 雨乞い
  • 蠶飼い
  • さすらい
  • 開墾部落
  • 工場・野良
  • 冷たく光る鍬
  • 野良に戰う
  • 自由え
  • 春がまた
  • 麥秋
  • 草に寐て
  • あさり汁
  • 仙公の歌
  • 治郞市の歌
  • 手土產
  • 東京雜詠
  • 日本わ歌う
  • 近所同志
  • 愛と正義を
  • 四季
  • 畑境
  • 村の子よ
  • 地球樂園

附錄
農民小唄

あとがき
作品年譜

 

NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索