1965年3月、初音書房から刊行された牛田留治の第3歌集。装幀は小島清。
一雨集(昭和三十年六月河原書店刊)、冬の手(昭和三十三年六月日本文芸社刊)につづく第三歌集を自分で編むことが出来た。集中の一群の題名滾をもって表題とした。
昭和三十三年夏から三十九年師走まで六年半の短歌四百六十五首を収めた。生活経験に立つ真実性を重視して来たので、全発表作を内容としたかったのであるが、軽率の作、拙劣のもの、稀薄なものなどの数十首は、採録しなかったが、あまり厳撰すると群作の味を損ふので、多少手を加へたり、不満のまま採ったものも少しある。
また、昭和三十三年から三十五年までを収めた第一部「枯歯朶」の時期は、長年従事して来た家業を廃し、勤めを持つに至るまでの作であるが、現代生活の出離感と言った事が、常時、頭を離れず、又、人事よりも、小動物などに多く注目し、日日、憑かれたやうに作歌に没頭してゐたもので、此の期間に、いくらかは人真似でない作を残し得たかと、ひそかに自負してゐる。また、自画像を内面から描くと云ふ「冬の手」以来の作風に、やや格調をととのへ得たかと思ふ。
第二部を「無声嘆」としたのは、昭和三十六・七年の作で、私の入院療養中に、妻が同じ病院で大手術を受けるといふ切迫した事態に当面し、殆ど経験と表現に間隙を挿しはさまぬ火花のやうな即詠を、そのまま発表したものが多い。従って此の時期は、長短ともに私の作の裸形が出てゐるのであらうと思はれる。
第三部を「流離鳥」とした昭和三十八九年は、退院後の転居、引つづいての勤務に疲労しながらの作で、創作態度が消極的であり、少し気魄に欠けるものがあるが、素純な感情が背後を流れてゐるかと思ふ。
右の次第で、約二年毎に区切って三部作としたのであるが、分類は発表月次によらず、ほぼ経験順に従った。第三部の「千鳥館回顧」のみは、上林暁氏の御好意によって、氏に出題されて「南風」といふ東京で発行されてゐた冊子に発表することの出来たもので、本集の中では、やや異調を醸してゐるかも知れない。拙い作で、当時、上林氏に申し訳なく恥かしく思ったものである。他の作は殆ど私の所属誌「勁草」に発表したもので、一部、短歌研究・現代短歌・新日光等に掲載されたものも混ってゐる。
以上七年間の自作のあとを、やや肯定的に振返ってみたのであるが、一般から見れば、無用者の諷狂の文字、片片たる小歌集に過ぎないであらう。然もなほ、自ら恃むところあるのは、心通ふ数い知友の深い理解と励ましのあるゆゑである。
わたくしの家の集としてこれを版に刻み、先進に献じ知友に頒つことを至福とするものである。
年が改まって私は勤務を退いた。書斎にこもり殆ど外出もしないこととなってみると、それには、それで、やはり新たな覚悟が必要に思はれる。第三歌集の上板を契機として、日に数時間を机に対ふことの出来るのを力とたのんで、記して新生活への踏切りとしたい。
(「あとがき」より)
目次
第一部 枯歯朶
- 点景人物
- 顔・その他
- 鴇
- 抽象恐怖
- 方途なく
- 高山寺にて
- 帛を裂く子
- 枯歯朶
- 滾滾
- 動物たち
- 生活
- 安土
- 旅情
- 北白川附近
- 現実
- 寂
- 茫茫
- 東京にて
- 雉子
- 或る夜
- 梅雨
- 小動物
- 落蟬
- 対岸
- 眼
- 溶暗
- 冬川抄
- 梅雨季
- 花の寺
- クリスマス・イブ
第二部 無声嘆
- 入院
- 憩ひ
- 脳手術
- 人情的
- 夕食家族
- 核
- 無常と言ふこと
- 半視野
- 無声嘆
- 冬至
第三部 流離鳥
- 有栖川のほとり
- 聞く
- 枯畑
- 一本桧
- 八月尽
- 千鳥館回顧
- 拾遺抄
- 師走集
- 冬
- 浅雪
- 春浅く
- 神木抄
- 清夜
- 清晩餐
- 流離鳥
あとがき