首飴その他の詩篇 服部誕詩集

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 1986年10月、編集工房ノアから刊行された服部誕(1952~)の第1詩集。著者は兵庫県芦屋市生まれ、刊行時の著者の住所は箕面市

 

 十代の後半から散文(らしきもの)を書きだして、それでも七、八年は続いたでしょうか。そのときの同人誌の仲間には詩を書いていた連中もいるのですが、どうしてだか僕は詩とは無縁だとひとりぎめしていました。サラリーマンになってだんだんと机に向かうことが億劫になっていき、いつのまにかノートも埃をかぶっていたのですが、二十代の終わりのある日曜日の朝もう一度鉛筆を握って書きはじめたのは詩(らしきもの)でした。
 それからできるかぎり土曜日か日曜日ごとに(僕の勤めている会社はさいわいなことに僕が就職した年に週休二日制を採用していました)前の週に書いた草稿を読み返したり、書き直したり、言葉を探したりするようになって五年たちました。詩の短い形式は僕のように休日にしか言葉とつきあわない横着な人間にはふさわしいものです、などと言うと世の詩人のかたがたの顰蹙を買いそうですが、自分の傾惰に対する自戒の念もこめて、そう告白しておきます。
 そんないい加減な「日曜詩人」の詩を編んで詩集をだすということについては、自分自身ずっと強い抵抗を感じていたのですが、昨年(一九八五)の八月十二日にふだん身近に接していた人たちの乗っていた飛行機が墜落するという事故がおこり、今年になってようやく「夏の石」という作品で自分なりに鎮魂することができたと思ってから、すこしずつ詩集をだしたいという気持が強くなってきました。もちろんそれは僕ひとりの勝手な思いこみで、ここに収めた詩の一篇一篇がはたして詩集を構成しうる言葉の力をもっているかどうかは今この本を読んでいただいたあなたの判断に委ねるしかないのですが、なにはともあれ、そのようにしてこの詩集は成立しました。僕の詩とこの「あとがき」を読んでいただいたあなたに(たとえ本屋の店頭でこの「あとがき」だけを立ち読みしていたとしても)心から感謝します。
 一冊の本をだすまでには実にたくさんのひとたちのご助力が必要でした。同人誌の時からの古い友人たちには心強い励ましを受けました。毎月第三土曜日の午後に行なわれる名なしの輪読会で僕の詩の最初の読者になってくれた仲間たちからは詩を書き続けていく意欲を与えてもらいました。僕のわがままな相談を受けいれて道切な助言と批評をしてくださった中江俊夫さん、原稿をこうして活字にしてくださった編集工房ノアの酒沢純平さん、了解もなしに再三登場人物になってくれた僕の家族たち、そのほかおおぜいの僕の出逢ったひとたちに厚く御礼申し上げます。
(「あとがき」より) 

 
目次

  • 唄う
  • 退屈な日
  • 銭湯状態
  • 吐く
  • 爪切り唄
  • 日常のバナナ
  • 均衡
  • 首飴 (くびあめ)
  • LUNATIC BICYCLE
  • 夜の蝉
  • 花畠
  • 冬の引越

  • 八月
  • 隅の男
  • 穴についての一考察
  • 光の便所
  • 鳥のように
  • 夢も見ないで
  • 夜の踏切
  • 掌の中の夢
  • 笑い雨
  • 巣の名
  • むかし私の中になにかが棲んでいた
  • 鶴を折る
  • 夏の石

あとがき


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