2007年10月、思潮社から刊行された中塚鞠子(1939~)の第4詩集。装画はあまのしげ。著者は岡山県生まれ、刊行時の住所は岸和田市。
「ふるさと」という言葉は不思議な言葉だと思う。故郷と書いたり古里と書いたり故里と書いたりするが、それぞれに似合っている。なぜかわたしはそのふるさとにこだわってきた。初めてエッセイのようなものを書いて人前にだしたのは、毎日新聞の「ふるさと提言賞」への応募だった。一九八七年のことだから、二十年も前のことになる。そのとき準提言賞をいただいたのだが、いまだにふるさとに引っかかっているとは、なんと成長のないことだろう。
住んでいるところがふるさとだと思いたい。が、私のふるさとはひょっとすると母なのではないか、と思ったりしている。だから、マスメディアなどが「日本人の心のふるさと」、などとひと括りにしていう言葉を聞くと、突然むらむらっとくる。誰にとってもふるさとは各々のふるさとであって、それぞれに生まれ故郷の田舎であったり都会であったり、風景であったり人であったりする。「日本人の心のふるさと」などというものがある訳がないと思うからだ。
わたしの育った家は、すでに父も母も亡くなり、継ぐ人もなく廃屋となって朽ち果てようとしている。これは父方の家であるが、母方の家は一年ほど前にダム(苫田ダム)の底に沈んでしまって、今は地上にはない。母も母のふるさとも消えてしまったとき、わたしには立っている大地がなくなってしまった気がした。
しかしながら、各々のふるさとでさえもいまは怪しいものだ。すでにそれらは存在しないのではないか。表現としてのふるさとだけが、人々の心の奥深くに存在しているのではないだろうか。これはふるさとへの挽歌である。
(「あとがき」より)
目次
・約束の地
- 記憶
- 出ていく
- 水の村
- 水の湧くところ
- 蛇
- 泉
- 眠る
- 呼ばれる
- 鵠沼
- 空家
- 伝説の未来
- 帰る
- 美しい沼
- かくれんぼ
- 古屋敷
- 便り
- 合図
- 約束の地
- 熟れない果実
- 椋
- 再会
- 沈黙
・柊の館
- 戦い
- 柊の館
- さすらい病
- 逆襲
- 足考
- 虫は
- 五月の耳
- 飼われる
あとがき