2020年11月、砂子屋書房から刊行された松林尚志(1930~)の第3詩集。装幀は倉本修。著者は長野県生まれ、刊行時の住所は中野区。
私は以前、中崎一夫、星野徹両氏等十人で「方舟」という詩誌を出していたが、平成二年に終刊となって以来、詩集を二冊出したものの重心は俳句の方へ移り、ほとんど詩作から遠ざかった感じで過ごしてきた。そんな私に砂子屋書房から再三にわたって詩集出版の誘いを頂いてきていた。それまでに変わった感じの二冊の詩集を出していたが、その後の作品は「方舟」の分を除けば数も少なくとても自信がもてなかった。平成に入って主力は評論の方へ移り、急き立てられるように次々と評論集を出し、気付けば卒寿を迎えていた。そして句集も昨年出したことでもあるし、ともかく締めくくる意味でも詩集をと思い立ったのであった。
作品をまとめるとしても中心となるのは「方舟」に発表したものであるが、その後の詩誌やアンソロジーに発表したものを含めても数が少ない。それ故、未発表のものを含めて一応一冊としての体裁を整えてみた。傾向も雑然としているが、一応未発表の二編について触れておきたい。「相武病院にて」の瀧春一先生は俳誌「暖流」を主宰していた俳人で、私は先生のお宅で下宿生活を送っている。先生は脳梗塞で倒れられ、長く入院していたが、この年に九十五歳でお亡くなりになっている。
村野四郎師とはたまたま辱知を得て、教えを受けるようになり、詩の世界に入ることになった。よく自宅にお伺いして教えを受けたが、昭和四十九年、私は喀血して一年間入院することになった。その間、四郎師もパーキンソン病で入院されたのである。私はその年の暮れに退院することが出来たが、先生はまだ入院中である。私はまだ治療中の身で、暖かくなったら見舞いをと思っていた矢先の訃報であった。葬儀には「方舟」の仲間と参加したが、改めてご霊前に詣でたのであった。
私は那珂太郎さんらの推薦を頂き、昭和五十二年に現代詩人会に入会している。その縁で詩人との交際も細々と続けてきた。とりわけ心強かったのは、五十二年から顔を出すようになった詩人囲碁界の存在である。今は亡い那珂太郎、加島祥造、飯島耕一各氏らも参加されていたし、小島俊明、原満三寿両氏との交流も囲碁界がきっかけであった。とりわけ郷原宏氏はよきライバルで優勝を分け合った時期もあった。文人囲碁界もその延長で仲間入りしている。
詩稿は期待に沿えるものであったかどうかはともかく、早速出版を決めていただいた。私の詩に心に留めて頂いていた方も大方鬼籍に入られてしまわれたことを思うと寂しさもひとしおであるが、ともかく一応の締めくくりが出来てほっとしている。改めて出版についてご配慮いただいた田村雅之代表に衷心より御礼申し上げる。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 船
- 夜の歌
- 魂魄
- 漂う生命
- 早春
- 星座
- 同行二人
- 法会
- 一族再会
- 巡礼
Ⅱ
- 初時雨
- 墓域
- 針葉
- 紙魚
- 余韻
Ⅲ
- 道の神
- イ短調カルテット
- 牛乳配達人
- 重力
- 少女
- 愛
- 人魚
- 渚の風景
- 作品
- 登攀者
- 馬酔木の花
Ⅳ
- 詩人の肖像
- 相武病院にて
- 霊前にて
- 嵯峨野
- 義仲寺にて
- 寄り添うカミ
あとがき