としつきの音 横山石鳥歌集

 1975年11月、草津公論社から刊行された横山石鳥の歌集。

 この歌集は、私が昭和二十二年(二十二オ)群馬県草津町にある国立療養所栗生楽泉園に入園したとき以来、昭和三十四年(三十四才)までの十三年間の作品から、五百二十二首を収録した。そのうち昭和三十三年までの四百七十四首は、恩師鹿兒島寿蔵先生の校閲を受け、昭和三十四年の四十八首は、自選のまま追録した。
 本集は以前に或る出版社奨めで「雪のひびき」の題名でたのであったが、出版社に原稿が渡ってから印刷工場の焼失に逢い、原稿だけが難を免れたというようなことがあって、今日までそのままになっていたのを、このたび沢田印刷所の沢田二郎氏の奨めと好意によって、十数年ぶりに、本になることになったのである。これを機会に、幾らかの歌句の訂正をし、或いは削除をしたほか、若干の作品を追加して体裁を整えることができた。特に初期のちのは、稚拙で不満の点もあり削除することを考えたが、時移り世情も大きく変った今日では、これなりに私の記念にと思う気持もあって、収録して4くことにした。作品は「潮汐」「高原」のほか「アララギ」「新泉」等の各誌に発表したものが大部分である。
 ここに収めた十三年間の所産は、敗戦、離郷、ハンセン氏病宣告、闘病、恋愛、反戦、患者運動等々、二重三重の挫折、逡巡、自己批判を負いながら必死に生きた一人の青年にそれで秘かに訪れていた小さな青春があったことの証として、私なりに何にも替えがたい記念碑である。
 たしかにこの一冊の背景をなす時代は、敗戦後幾許も経過しておらず、社会の激動は、そのまま、未だ閉ざされた社会だった高原の片隅の療養所の中にも、直接間接に反映してきたし、私なりにそうした時代に反応し、時には反撥しながら、対人間、対自然、対自己、対社会を主題に歌作にうちこんでいたつもりでいるが、個々の作品は、その時、その時代の私一個の小さな詠嘆を出ることは出来なかった。言えることは、稚拙な表現のうちにも、私なりに、時代に即し、自己に即して、心に響いた真実を、その時々の感動を、精一杯に表現していったことである。「写生に徹し」は師の常々の指導であった。私の作歌時代に、鹿兒島寿蔵先生というかけがえのない師にめぐり逢えたことを感謝したい。師の熱い情愛と、厳しい内にも懇切な指導によって、この時期に「潮汐賞」を受けたほか、この一冊をのこすことが出来たことは、何にもまして幸福であった。そしてまたこの昭和三十四年を境に、私自身の勝手から作歌の道を遠のき、師からも遠くなったことを、限りなく痛恨に思われてならない。この一冊を本にするに当って、心から師にお詫び申上げたい。他に土屋文明先生、荒垣外也先生にも、数ならぬ指導を賜ったことを記して感謝申上げたい。
 私は大正十四年、石川県の貧しい海辺の漁村に生れたが、兵役中に、ンセン氏を発病、海軍病院から昭和二十二年に前記栗生楽泉園に転送されて入園、十九年間の療養生活を経て、昭和四十一年に社会復帰した。請われて地方新聞の創立に参劃、現在同新聞代表として、地域社会の新しい住民自治確立に微力を尽すべく努力であるが、これ長い療養生活中に、園内において同園機関誌の編集にたずさわり、或いは同志と社会科学研究会を創立、また各大学から講師を招いて療養所内に大学講座が設けられた際、その事務局長を務めた等々のことがあって、それらが社会復帰の一つの準備になったことは幸運であった。またこの間に妻を得、子にも恵まれた。ジャーナリズムの職に就いてからは、これまた各界の指導者、有識者、隣人たの力強い後援と助言を得、今日に至ることが出来たことも感謝に堪えない。このささやかな歌集を、療養中に恩寵にあづかった方々、友人、社会復帰後の私に賜った地域の友情に対して捧げたいと思う。忌憚のない御批評、御教示を賜れば幸いである。
 ハンセン氏病(らい)を病む者の数は、日本では今や一万人を割るまでに激減した。敗戦直後から数えても、その数は三分の二に減っている。不治といわれたこの疾病も、戦後医学の急速な進歩と、療養所の近代化によって、治る病気になり、恐れる必要はなくなった。現在療養所にいる患者の八十パーセント以上が無菌者であり、たんに後遺症をもつ身体障害者にすぎない。彼等は今日名社会復帰の契機を、心静かに待っているのである。重い身体障害のため、事実上一般社会人並みに社会に伍していくことの出来ない者数多いことは事実だが、その人達には、施設に居るままで、社会人としてのすべての権益が保障される日を祈りたい。しかし戦後の三十年は、ハンセン氏病と、それを病む者たちに対する認識を大きく変えた。私もそうした変化の中で社会復帰した一人として、痛切に時の流れを思う。その故に、後に続くであろう彼等療友たちを迎えるために、自分の力の足りないことを自覚しながらも、現在の職業を通して、偏見や差別のない新しい社会づくりに微力を尽したい。この一冊が、一人の社会復帰者の、病める時代の、一路程として読んで貰えれば幸いである。折しも今日は、日本が敗戦後二十九年目の八月十五日である。戦争のない、誰もが人として尊ばれる、豊かで平和な社会が築かれていく日を祈念して、この後記を結ぶことにした。
(「後記」より)

 

目次

  • 昭和二十二年
  •  入園宣言 
  • 昭和二十三年
  •  日常 
  • 昭和二十五年
  •  ブロミン渡来 火の山 乾すもの 
  • 昭和二十五年
  •  千鰯 侵略 夕光 冬の向日葵 月夜浅間 兵の日記 
  • 昭和二十六年
  •  三風呂谷(みつぶろだに) 星影の下 朝鮮戦争 うづくまる 群馬鐵山 蝶 

夕餉 白砂山

  • 昭和二十七年
  •  風雪 妹 霜凪 雲 夏から秋へ
  • 昭和二十八年 
  •  仰臥 いきづく 瘤 東京遊覽 らい豫防法闘争 七年ぶり 安宅にて 二人の

妹 金澤 

  • 昭和二十九年 
  •  海へ行く道 椿の花 逡巡 山崎克美君 桃の青葉 青き鯉 をだまき 月照

る庭 綱領 契 泥雪の道 

  • 昭和三十年
  •  火焔瓶 納骨堂 反戦 雷雨 ウィン・アピール 霜白き指 雜仕婦 秩父
  • 水氏 孤獨 鹿兒島壽藏先生 掟 罪深く
  • 昭和三十一年
  •  歸郷 海 戀文 妻歸る 十年 霜のあした 幻の海 
  • 昭和三十二年
  •  猫 禱る 長男出生 指紋 母の手紙 スプートニク モォッアルト短章 眞

實 裁判 

  • 昭和三十三年 
  •  外科室にて 妻の家 小講座 目禮 笹川佐之君 榾採り祭りの夜 
  • 昭和三十四年 
  •  ある指彈 宮下良三君 誕生日 三坪の家 薄明 離散 独立祭 

 

後記

 

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