1971年11月、津軽書房から刊行された平井信作(1913~1989)の短編小説集。著者は南津軽郡浪岡村生まれ。刊行時の著者の職業はりんご移出商。
私の戦地生活は足掛け四年でしたが、この戦場での月日は、私の六十年に近い人生のうちの三分の二以上の重さがあるように思います。
私がシナ事変で召集を受けたのは昭和十二年、数え年二十五のときでした。兵隊たちはみな年上でした。召集前、こっそり左翼の本を読んだことのある私は、戦場で見かけた相手の布告文にある共産軍指導者の名前を知っていたし、戦争に対する一つの考え方を持っていたつもりなのですが……年若い小隊長はただ自分の名誉と意地のために戦い、妻子をぐにに残して来ている部下たちに随分苦労をかけました。
それでも昔の中隊の戦友たちは、今でも毎年一回集まっています。今年で十回になりますが、五十人ほどが参会して歓談することができました。
或る人は、私の兵隊小説に戦争反対の、いってみれば反戦思想がないといいます。が、私は戦争反対をただ唱えるためにこれらの作品を書いたのではありません。例えば戦場で、人間はどんなことをするか、今ではいい古された言葉かも知れませんが、私も戦場という極限状態に置かれた人間の裸のままを描きたかったのです。そしてそれが戦争否定にも繋がると考えています。
私はまた、戦争での殺人よりも平和なときに起きる殺人の方がもっと残虐だと思っています。だから聖戦という美名に騙された私は、平和という虚名にも騙されまいとしています。これが戦争で得た私の最大の知恵だと信じています。
私は、自分の戦争体験を書くことを一生の仕事にしています。それはいづれ『生柿吾三郎の戦歴』としてまとめる予定ですが、この作品集はそれまでの過程として、無くてはならないものと考えています。
(「あとがき」より)
目次
- 最初の不忠者
- 小隊長の或る日
- 太行山脈
- 一刺しの光
- 転進輸送船