1986年4月、新地書房から刊行された山田晶(1922~2008)の第2詩集。著者は諏訪市生まれ。刊行時の著者の職業は南山大学文学部教授、住所は名古屋市。
私は毎朝、あかつきに起きて仕事場にいそぎます。あかつきから早朝にかけて、世界はさまざまな形象を私の前に現わします。
仕事場では一日中、私はハタラキバチになってはたらきます。形象が私の前に現われる余地はなく、いわば私自身が一箇の形象と化して、物の世界に没入しています。
けれども夕方、仕事をやめて、やや放心状態になって家路を辿るとき、夕闇の迫った世界は、再びさまざまな形象を私の前に現わしてきます。
それらの形象の中には、ひどく私の心にしみるものがあり、それは忘れがたい心象となって心にのこります。その心象は、何か鋭いはがねでできた鋲でもあるかのように、私の心の肉の中に食いこみ、やがて腫れ上って、痛みながら浮び上ってきます。そうなると私は、片時もその心象から離れることができず、その痛みに苦しめられるのです。
その痛みからどうしてまぬがれることができるでしょう。肉のおできならば、医者に切開してもらうこともできます。しかし心の腫物を切開してくれる医者はありません。自分で何とか処置しなければなりません。どうしたらよいでしょうか。
肉の腫物の場合には、息をひそめてその痛みの中に没入すると、一つのリズムに気がつきます。丁度、心臓の鼓動に応じて脈が打つように、その脈搏のリズムに応じて、痛みもまたリズムを以て、ズキンズキンとひびいてきます。
心象から受ける痛みにも、何かそれに似たリズムがあるようです。私は心象の痛みから解放されるために、その心象に再び形象を与え、リズムをつけて外に吐き出すことをこころみました。このようにしてやっと、心象の痛みからまぬがれることができました。
このように書いてくると、私はデカルトのように、方法的に詩作していると思われるかも知れません。しかしそうではありません。事実は、外界から受けた印象の痛みに耐えきれなくなったとき、苦しまぎれに、歩きながら、或は電車やバスに乗りながら、ぐるぐるまわる頭の中の音盤にのせて口走っていたものが、これらの詩、ないし、詩のようなものになったのです。
しかしいつか、私がはたらきなれた職場を去り、長く通いなれた道に別れを告げ、その町を去るべき日がきました。私はお別れのしるしに、この職場でお世話になった方々や、この町で知り合った人々に、これをささやかな詩集にまとめ、お贈りしたいと思いました。
その念願がやっとかなえられましたことを感謝します。
(「あとがき」より)
目次
・朝と夕の歌
・団地の歌
- 一筋の道
- カラスの歌
- 団地の夕餉
・妹の死
- 棺
- あかつきの夢
あとがき
書評等