2003年11月、思潮社から刊行された浜江順子の第4詩集。カバー写真は碓井雄二。装幀は和泉紗理。付録栞は野村喜和夫。
詩は死であり、死の毒は詩と渾然一体になって青い静脈にうっすら映り、その努りに揺れる青は、凍る湖のはかなげな青であり、荒れ狂う海の灰色がかった重く暗い青であり、宇宙の光と影が幾重にも重なった透明感ただよう青であり、そして、いまにも暗部にひきずりこまれそうな青ざめた顔の青でもあった。私は、「詩のなかの死」と「死のなかの詩」に魅了されながら、怯え、やすらぎ、潜った。
そして、私にとって時は遠かった。痛みで時折、脳をふるふる震わせていたが、やはり時は遠かった。十六のまだ寒い早春、青梅の細い道は酒蔵からうっすらと酒の香を運んできた。玉城徹先生にはそんな痛みは内在するが、ほぼまっさらな脳で都立高校の教師と一生徒としてぼんやりと出合った。十六から十八まで現代国語を習ったが、先生は詩のところに多くの時間を費やした。当時の私は、先生が歌人であることさえ知らなかったから、そのわけなど知るよしもなかった。私にとって先生は他の先生とどこか異なる存在ではあったが、もちろん詩などに手を染めていなかったから、教えを乞うこともなく、詩はまだ遠かった。頭の上をなにか大きなものがゆっくりかすめていったことさえ知らず、ただ遠かった。多摩川のせせらぎだけが、鮮やかな青だった。
いま、私にとって詩は死の媚薬を運んでくるものであり、私は両手をソファーにもたれさせるように、その媚薬に心をたゆたわせる。それはある種、心を癒すが、同時にまた純に突き刺さる鋭い痛みを届ける、わからない奴だ。
今回の詩集、『去りゆく穂に』の中のいくつかはレクイエムの側面も持つものではあるが、詩の中の死を追って不覚にもそして、身のほと知らずにも薄青色の迷路へと迷い込んでしまったものである。
(「あとがき」)
目次
- もう面積はないとしても
- 去りゆく穂に
- 腫れた顔
- 傷の水
- 死卵
- 痛い少年
- 乱れた樹々
- 冬のうねり
- 不審者
- 葉の刃
- 45°の殺意
- ミミズ脹れ的祈り
- エゴイストの粒子
- 発情譚
- 匂いがない部屋
- 傷口愛
- 暗黒のシーニュ
- マンホールへと
- 離陸前夜
- 密やかな尾
- ゆらぎ
- 透明なる葬列
あとがき