1992年3月、土曜美術社から刊行された日高滋(1934~)の第3詩集。装画は大嶋彰。著者は大阪市生まれ、刊行時の住所は京都市右京区太秦。
旧刊の詩集『紙人』は、一九八一年に檸檬社から刊行され、その前半部には「虚体確認」シリーズの23篇が入り、後半部の「紙人」シリーズ6篇と対になっていた。が、作者としては後半部だけを独立させ、現代人の一つの典型像としてのペーパーマンの紙生活を、より鮮明に提示したいと願っていた。
このたび「WHO'S」同人諸兄姉や土曜美術社編集部丸地守氏のすすめで、その後の新作9篇を加えてまとめてみると、時代の波風にあおられ身内からもあぶられ、あたふたする人間の、紙噛みするような日常、どうしようもない解体のプロセスがはっきりと見えてくるようだ。
この間、他の芸術分野の作家が、私の作品と同じ趣向で制作されているのを折々に知った。たとえば韓国のある写真家は、拙作「紙体」に似たアイデアで、新聞紙を身体中にべた張りした男の裸体を撮り、ポーランドのあるポスター作家は、拙作「紙のピエロ面」に似た構図を、あざやかに描いている。それらの制作にまみえる以前に私の創作があることは「初出覚書」参照で証明されようが、なんのゆかりもない異国の芸術家との発想の異常接近は、世界の同時性をまざまざと感じさせられた。
ふり返ると、月刊詩誌「大阪」創刊号に作品「紙人」を発表してから55年におよぶ長い紙生活である。(この間に別テーマの連作詩集を二冊私は出している)ヒトと紙との境界ラインを、実感的論理的に歩む試みが、行きつくところまで来た、と感じるかたわら、共生した紙への愛着も断ちがたいものがある。
……もしもあなたが 立ち並ぶビルの谷間に さまよう紙きれを見つけたら 秋の蝶のようにやさしく放してくれ。もしもあなたが しろがねの機器の片すみに くたびれたきれを見つけたら 落ち葉のようにひかりで焼いてくれ。……こうことづけるだけでは言い足りない。いま一つ断章を添える。
…………
水の上の紙
砂の上の紙
火の上の紙
(紙であることの祈り)
(「あとがき」より)
目次
- 紙歩――アンダンチーノ
- 紙行――モノローグ調に
- 紙化――映写的に
- 紙人――ドラマチックに
- 紙体―――コント風に
- 紙人の再生産
- 紙交
- 紙の夫婦
- 紙生活
- 紙の穴場
- 紙生――自画像的に
- 紙界――辞典風に
- 紙上のヒト
- 紙のピエロ面
- 紙の眼
あとがき