めぐりあい 運命序曲 奥村博史

 1956年9月、現代社から刊行された奥村博史(1891~1964)の自伝小説。題字は平塚らいてう、著者自装。現代新書。

 

 奥村君がこの小説の原稿を持って来て見てくれと言われたのはもう何年前か、二、三年前の気がするが、もっとずっと前かも知れない。時のたつのは早いもので、二、三年前と思って居た事が七、八年前だったと言うことはよくあるので、自分ながら驚くわけだ。奥村君が昨日「あとがき」を持って来たのを見ると、疎開中に芋粥をすすりながら書いたものだそうだから、僕がこの小説の草稿を読んだのは数年前の事と思う。厚い原稿を奥村君らしい遠慮をしながら読んでもらいたいと言われ、実は僕はそのどしんと重い原稿に内心恐れをなしたが、他ならぬ奥村君のたのみなので、僕は喜んで承諾した。奥村君は真面目な人だし、誠意のある人だから、その人が書きたくって書いたものだから、其処に真剣な気持がある事は疑う余地がなかったからだ。
 果して読み出すと、よくここまで書けたと思う処にぶつかり、当時の事を知って居る僕には奥村君の当時の気持がぴったり感じる事が出来、長いと言う事に恐れをなす必要がなかった。奥村君は小説家ではない、画家である。文章がうまいわけではない、又奥村君らしい感情が露骨に出て居る所もあったと思うが、しかし何処にも良心はいき渡って、感情の動きに嘘があるとは思われず、日本のある時代の出来事を如実に書いて居るので、その時代を背景として、奥さんとの関係がわかり、他の人には書けない真実がかけて居る。
 たしかに僕の若い時世間をさわがした『新しき女』の出現した時代に、世間の人が想像する以上に、真剣に生きぬいた事がわかり、奥村君を通して見た、平塚雷鳥と言う一時代を代表した女性の一面が見られることも、見逃せない事実と思う。
 あまりに二人の事件が有名になり、世間をさわがし、その為に世間のつまらぬ好奇心を起させ、その為に奥村君は随分ひどい打撃を受けたらしいが、奥村君には少しのうわついた処がなく、世間の見る見方がいかに軽薄であったかも、この小説でわかると思う。奥村君がかきたかったのも、世間の誤解が一元因をして居たのではないかと思う。
 人間は誰でも自分の事は真剣に考えるが、他人の事はどうも出来るだけ浅薄に考えたがる癖があるようだが、日本人には、僕もその一人でないとは言い切れないが、殊にその傾向があるように思う。僕もその経験があるので、奥村君のそう言う気持がわかるようだ。
 この小説をかいた奥村君の気持にしても、何処までその気持を理解する人があるかと思う。ともかく書かないでは居られないで、書いたもの、殊に戦争末期で誰もが、死を覚悟しないでは居られない時に書いたものだけに何か書かないでは居られない、真剣な気持がこの文章の裏にあるように思う。
(「序/武者小路実篤」より)

 


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