1955年4月、書肆ユリイカから刊行された滝口雅子(1918~2002)の第1詩集。装幀は木原孝一。画像は裸本。著者は朝鮮・京城生まれ、刊行時の職業は国会図書館司書。
この詩集には、一九四六年から一九五四年の約九年問の作品のなかから選んだものを収めました。「詩と詩人」「時間」「詩行動」などに発表したもので、大体、逆年代に並べました。従って、最近の作品を前の方におきました。
永い彷徨の果てに、ようやく詩に定着してここに詩集になってまとめられたことを喜んでいます。(死んだときに葬式を出さなくても、詩集だけは出しておきなさい)と云う友人の言葉が、この詩集を生む直接の動機となりました。永い間私の詩を見守ってくれた人たちに、詩の葬式を出すことで、明るいお祭をすることで報いることもいいことだと思いました。
詩集の題名になりました、「蒼い馬」について、少し昔ばかしをいたしますと、昔私が朝鮮京城にいたころ、かつてのアナキストの残党のひとりが、私を「詩」に開眼させ、「詩」と心からの対面をさせてくれました。同じその仲間のひとり、山部珉太郎というよき詩人の(当時、朝鮮の文化は、日本内地の動きと隔絶されていて、この詩人も日本内地では知られることがなかつたかもしれない。私もこの人に会つたことはない。)「蒼馬の道」という詩集を、私たちは声に出して読み愛してやみませんでした。その遠い流れが、いま私の詩集にまできていることは偶然ではなく、行方もしれないそれらの人たちを今もなつかしく思い、ここに書き記します。
尚、私の生い立ちもあり、また第二次世界大戦で、二十年住んだ故郷朝鮮の、そこにある一切の有形無形を失いまして、数えきれない多くの愛する人たちを失いましたから、いきおい「死」と「生」と「愛」が、私の詩の出発の大きなテーマになりました。人間の生命を傷めつけるものに対しては、いつでもそれに立ち向つていくものが、私のなかに底流としてあります。そのとらえ方の上では自分に今後希望したいことがあり、この詩集の後、自分が少し変貌するだろうことを予感しております。「蒼い馬」はやがて膝をのばして、水のなかから出ていくでしょう。(「あとがき」より)
目次
- 問いかけ(序詩)
- 歴史
- 兵士たちは
- 待つている
- 平地の登山家
- 窓
- 生の影
- 明日
- 夜の花
- 蒼い馬
- あたらしいレールは
- 早春
- 女の半身像
- 夕陽の海
- 水炎
- 言わせて下さい
- 人と海
- 死の岬の水明り
- 炎
- 愛する人たち
- 死と愛
- たつたひとつの
- 地上の花作り
- 扉
- 母体が自分の完成を願うとき
- 女
- 影
- わたしを支えて
- 女のひとは
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