1986年11月、書肆犀から刊行された木村迪夫(1935~)の第8詩集。写真は橋本紘二、装幀は岩井哲。第30回農民文学賞受賞作品。
ながい間ぼくの中で、部落(むら)は美しい風景でも、あたたかい胎でもなかった。隣り同士が陰口をたたきあい、ののしりあい、近所に不幸があったり、家が傾く兆を見るとひそかに喜ぶ領域が、部落(むら)であると思ってきた。
それは多分に、少年期に家の柱である父親を失い、女手だけの無権力、無財力のくらしにとって"むら共同体"とは幻に過ぎないことを見せつけられてきたからにほかならない。
けれども、ぼくは一度も部落(むら)から脱出することも共同体の欺瞞性をあばくことも出来ずに今日まで部落(むら)でくらしてきた。百姓仕事のあい間に左官屋の下働きをしたり、土方仕事をしたり、冬場には関東方面に出稼ぎに行ったり、ゴミ屋という兼業にありついたりしながら、どうにか生きつづけてきた。
部落(むら)に生きつづけてきた――、と云えば恰好はよいのだが、それ以上のことはぼくの力では何もできなかっただけのはなしである。と、同時にそんな脆弱なぼく自身をも包みこんで年月を重ねてきた部落(むら)――、この先をもそうであろう部落(むら)を、このごろしみじみと想う。近代化のあらしに翻弄され、崩れていくさまを躰でうけとめていると、ときとして部落(むら)のはるか底の方で、いままで幻と思っていたものがなぜか光って見えるのに気がつく。このごろ目で見る以上に躰で感じる。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 暮しの詩篇
- 小犬
- 碑銘
- 一九七六年・夏
- 詩信
- 悪い夢の間
- 6月
- 妻よ
- 村を毀しに来る奴の前で
- 一九八〇年・秋
- 矢尻の部落(むら)・貝の部落(むら)
- 悲歌(エレジー)が飛んでいく
Ⅱ 出稼ぎ詩篇
- 山場の子供
- 村の朝
- 東京だより
- 雪
- 別れ
- めぐり逢い
- 村へ
- わたしの村
Ⅲ 山峡の詩篇
- 眼
- ムラへの回帰
- 歴史
- 未来を読む
- 季に立つ
- いのち・継ぐ
- 夏を刈る
- 部落(むら)を繋ぐ
- 祭り
- 父・生きる
- 小舎の中の青春
- 部落(むら)・生きる
あとがき