合掌部落 能村登四郎句集

 1957年4月、近藤書店から刊行された能村登四郎(1911~2001)の第2句集。

 

 「咀嚼音」以後の作品五〇〇句をまとめた。
 その間の二年牛という歲月は、句集の製作年代としては極めて短かい。おそらく將來もこれほど短歲月で多作するという事はないだろうと思う。成果はともかくとして敢闘した二年半である。もつともそれだけに粗い作品もあり、獨りよがりのものもあると思うが、ぼくの作家成長の上にこうしたフアイトに充ちた時期があつたことは、何かの意義のあることと思う。
 前句集「咀嚼音」には全篇をおおうひとりの人間の生の哀歡の色が濃いが、この人間彫琢があの頃のすべてであつた。「咀嚼音」はぼくの豫期に反して俳壇の好意と理解によつてむかえられたが、そのような倖があればある程、ぼくはその好意に甘えていられない氣がした。「咀嚼音」の後記を書いた翌日、北陸の旅に出たが會て旅での作品を發表した事のないだけにこの旅にはすでに一つの決意があつた。
 「合掌部落」という名は、大家族制と合掌造りで名高い飛騨白川村の湖底に沈む前の姿を記錄したものであるが、この作品とこの後の幾聯かの作品でもつて昭和三十一年度の現代俳句協會賞と馬醉木賞との二つの榮譽を獲た。
 この句集でぼくの試みたものは「咀嚼音」で終始した人間個の問題を、どこまでも自己を起點として社會的な廣い視野の中に發展させることが、本當の意味での人間個の展開だと思つた。自分と同じように貧しさや苦しみと闘いながら世の中を生き拔く人の姿を、日本の風土の中からさぐり出して行きたいと思つた。
 この集にある「內灘」「合掌部落」「八郎潟干拓田」等は、人間個に波及して行く社會問題をテーマとして取上げてみた。社會の壓力の下に苦しみ、且つ戰い生きる人間の描出に重點を置いた。
 又「習志野刑務所」「八幡學園」の一聯の作品は日本の貧しい社會施設の中に生きる人間個の問題を試作的に捉えたものであり、この種の作品は未完成だけに今後猶つづけて行きたいと思う。
 社會を背景としたこれらの作品を縫つている「父子登攀」「吾子受洗」「母の經」の一聯は「咀嚼音」の系統をひく作品であるが、これはぼく自身の體溫であり、體臭であつてぼくが俳句を作る限りつづくものと思う。
 定型・季語・文語問題、そして社會性の問題、更に造型化の問題などをはらんで現代俳句は今に大きく轉換するかも知れない。そして常に目分の古さを意識しているぼくにとつて必ずこれらの影響は避けられないと思う。然し今後いかなる変革がみられても、俳句は有季十七音の抒情詩だという俳句の傳統に對する受取り方は、今後も絕對に變らないと思う。ぼくはこの古めかしい俳句の傳統の保持者のひとりとなると思うが、決して悔いないつもりである。その古めかしい傳統を受繼ぎながらも俳句をあたらしい時代の魅力ある詩とする可能を信じているからである。俳句は傳統の詩であるから他の文學よりも遅れているのだという既成俳壇に流れている諦めの精神にはあくまで抗して行きたい。この問題を作品の上で解決して行く事が今ぼくらに與えられた大きな課題であると信じている。現代の詩というものは常にその時代の精神の脈うつものでありたい、ということがこの句集を編み終つた時に胸一ぱいに充ち擴がつたただ一つの願いであつた。
 この書を出版するに當つて、前句集同様に近藤傳之介氏のお世話になつた。又掲載の寫眞「內灘」は北國新聞社に、「飛騨白川村」は朝日新聞社の齋藤寅郎氏に、「八郎潟」は秋田の齋藤五百枝氏の作品であるが、それぐの御好意によつてぼくの貧しい句を飾つていただけたことをことにふかく謝したい。
(「後記」より)

 

目次 

  • 北陸紀行 昭和二十九年 
  • 母の經 〃 
  • 荒鹽 昭和十三年 
  • 父子登攀 〃 
  • 合掌部落 〃 
  • 緊木 〃 
  • 男鹿の冬 〃 
  • 八郞潟干拓田 〃 
  • 悲母變 〃 
  • 習志野刑務所 昭和三十一年 
  • 八幡學園 〃 
  • 吾子受洗 〃 
  • 登呂麥秋 〃 
  • 充ちし中年 〃 

後記 

 


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