鳥獣戯画その他 中崎一夫詩集

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 1966年10月、思潮社から刊行された中崎一夫(1931~)の第1詩集。著者自装。著者の本名は田村英之助、桐生市生まれ。刊行時の住所は東京都北多摩郡国立町。

 

 正確にいうと、これは私のふたつめの詩集である。むかし小学校五年のとき『夏休詩集』というのをつくって学校へ出したことがあった。三十日間毎日二、三十行の詩(!)を書いて原稿のままとじたものであった。表紙は隼戦は闘機の水彩だったはずである。五つ上の兄にいいわたされた仕事であって、私はそれを忠実にまもった。
 今この詩集をまとめながら、あの二十数年の昔を感慨ふかく想いだす。小学生にとって言葉を操ることはもっとも難かしい技のひとつであった。しかしあれから二十数年の後、言葉の技はますます難かしくなりこそすれ少しもやさしくなりはしない。私の実在と対象と、そしてその間にある言葉、これらのものののっびきならぬかかわりあいについて私はいまようやく、じぶんの脈搏において、認識しはじめたようである。それについてはこれからエッセイの形で考えてみなければならぬであろう。ともあれあの『夏休詩集』以来の二十数年に私が詩について得たことといえばこの認識につきるのかも知れない。そしてあの夏休みあけの二学期には意気揚々と詩集を提出できたのに、今はこの詩集を羞らいをもってしか差しだせないのも、この認識に照らしてみずからの無力さを思いしらされるからに他ならないだろう。
 詩を書くものにとって詩集を出すことは義務のようなものであるらしい。蓋恥を口実にこれを逃がれようとした私を、機会あるごとに叱咤激励した何人かの友人に感謝しなければならない。また「日記抄」や「坂」をはじめて採用してくれた詩誌の選者にも感謝しなければならない。これは私の内閉的な羞恥に窓をひらいてくれたものであった。さらに私の詩についてそれとない好意をさりげなく送ってくれた人たちもいる。そういうことを考えるとき、じぶんが、他人の好意の斑紋とみずからの産卵の染とで、飾られたり汚されたりしているまだらの蛇のようにおもえたりする。そして今は私の作品のささやかさなりに、これらの人々にただひそやかな感謝をささげるにとどめておこう。
 実質的にははじめてのこの詩集は、表紙から奥付まで自作自演の意気ごみであった。自作自演ならぬ独りずもうになりそうであるが、それは別にして、時集をつくることはひとつの詩をつくるのと大層ちがうことであるのを感じている。一冊の同人誌をつくるのともちがう。選んだり推敲したりしてまとめられた詩集の原稿をまえにして、これが私のすべてだとおもうことは寂気を伴なわずにはいない。それは子供だったころ、七人の家族がぜんぶ夕食に集まるときの寂寥感ににている。いくら数えなおしても七人いるのだが、どうしてもあとひとり誰かが足りないような気がするのである。人間は所詮そういうものなのであろう。
 夏の相貌をようやくあらわにしてきた郊外の夕暮を窓ごしに眺めながら、はじめての詩集の準備をおえて私はいつになく感傷的である。
(「あとがき」より) 

 
目次

  • 鳥獣戯画
  •  かなりや*うま
  •  はくちょう*ねこ
  •  ごりら* へび
  •  とり(Ⅰ)*いぬ
  •  ねずみ*とり(Ⅱ)
  •  たまご*こうもり
  •  とり(Ⅲ)*動物園
  • 地震
  • 日記抄
  • 少女
  • 漫画詩抄(りりつく・こみつく)
  •  ターザン*
  •  クリちゃん*

あとがき


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