立っている青い子供 川田靖子詩集

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 1989年11月、芸林書房から刊行された川田靖子(1934~)の第6詩集。装画は海老原省象

 

 私はどこから来て、どこへ行くのだろうか。十二歳のとき級友(クラスメイト)が私の名前を分解して、ならいたての英語で「立っている青い子供スタンディング・プルー・チャイルド」と呼んだ。長いことこの呼び名を忘れていた。たよりない日々のことで、この先自分はどうなるのだろうと思っていた。そのうち、かたわらに道連れができ、両側に子供がきて、少しずつ追いぬきそうである。連れとも二周ぐらいずれていそうな気がする。
 ますます目に見えないものが気になり、時間とは何か、あちら側の世界はどうなっているのだろう、命とは、縁(えにし)とは、言葉とは……と考えている。私の目ざしているのは永遠であるのに、私の目と手に触れたものはことごとく束の間のすがたをしている。そして私は相変らず立っていると気づく。昔の渾名をとつぜん思い出した。たぶん、いましばらくは立ちつづけているだろうと思う。
 この詩集には双児の妹(フランス語の巻)がある。私の考えていることを外国人の友達はわかってくれるだろうか。いつか誰かが訳してくれるときがくるだろうかと考えていた。
 しかし私は自分の作品を素材やモチーフとして、いつかあらわれるかもしれない訳者の手にゆだねたいとは思わなかった。自分の職業柄、多くの詩の和訳の悲惨な変貌を残念に思っているからである。
 出来ばえがどれほど素晴しくても、巧みな訳者によって私の考え以上に発展させられたリ、逆に省略されることは望まなかった。
 私の詩はたとえ無器用であっても、それ自体がてき上った作品であるので、原文対訳詩が、モチーフ対絵画の関係になっては困るのである。むしろ、野の花の標本と、図鑑の図との関係のようにすべての部位が対応していてほしかった。実物を目にしたときに、図とくらべて、それと同定できることが大切であると考えた。
 私は私の詩に美しい挿絵や、音楽がつけられることも望まない。私の詩の音楽以外の音楽や、私(または読者)の思い描く像以外の画像が与えられることは潔しとしないのである。
 私のねらったものが正確に訳されさえすれば、あとは読者の連想力と想像力が機能して感動を完全なものとしてくれるはずであると考えて自分で訳すことにきめた。
 飜訳の協力者は訳詩のユーモアに笑い、ものの哀れに感応してくれたから、イデーが伝わることはよくわかったが訳文の方は、どうしても重く、長く、説明的、散文的になってしまうのが残念である。
 フランス語の特質である分析性や論理性が日本語の自然な流れをかえてしまい、余白を塗リつぶしてしまう。言葉遊びが上手に訳せないというような技術的次元の問題よりも、このことは致命的であると思った。 言葉の水準にはもっとも注意して、できるかぎり無色透明を心がけたつもりである。
(「あとがき」より) 

 

目次

  • 百合ひらくとき
  • ドルトーニュの秋の日に
  • 竹のフーガ
  • 旅立つオルフェに
  • 立っている青い子供
  • 雨季の終リ
  • キクを焚く
  • 彼方
  • フロラの領分

あとがき


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