1969年11月、詩苑社から刊行された龍野咲人(1911~1984)の詩集。題字は著者。
恋の日にはかぐわしい恋愛詩をつくり、悲しみの夜はひとり深更まで起きていて哀歌をつづる。そんな主観的な態度ではなく、情緒をひっぺがしておのれの実存へと迫り、根源の生命をあらわすことに、ほんとうの生きかたのあるのを手さぐりした。
だが、それは詩から逃げだすことではないか。むくむくと、蝶の虚構から這いだす毛虫を露呈することになりやしまいか。
毛虫がかならず蝶になるものなら、芸術を選ぶことは栄光を選ぶことになろう。そして、蝶と毛虫とをいっしょにした一個の全体に、人間性の真実を定着させることができる。ところが、そんな概念よりも現実の方がずっと苦痛にみちている。かならずしも毛虫は蝶になんかなりやしないのだ。
毛虫のままであって蝶にならない人生、そんな矛盾へとつきつけられていく生きざまには、もはや一般の言葉は役立たなくなった。詩は言葉で対象をつかむのではないという認識にこそ、ほんとうの詩が顔をのぞかせる。そんなふうにして、なお不安な人生を愛していく方向に、詩はありそうだ。
大切なのは、そうした仕事に、すっきりと一本の光線が走ることである。葉脈のようにといってもいいし、ぴんと張りつめたハープの絃のようにといってもいい。それがなければ、いくら作品を書いたって、詩にならぬ。はげしい全人間的な美が、行間から閃くことはない。
(「ノート」より)
目次
Ⅰ
- 蝶
- 野山
- 薔薇
- ぶらぶら学校
- 橋
- 擬態
- カシオペア
- 危機
- ひげづら
- 中仙道
Ⅱ
- 火刑
- 春一番
- 鏡
- 体温計
- ナルシス
- ひかり
- 砂時計の夜
- 絣
- 告白
Ⅲ
- 聖母子
- てんぐ岩
- 文明史
- 月と毛虫
- ひげのエピソード
- えんどう記
- 蘆荻
- 千曲川
Ⅳ
- ほたる
- がら場で
- 荒涼
- 遮断
- 伝記
- 蝶が流れる
- 上高地の夜
- 登攀
- 顔の破片
ノート