1998年2月、土曜美術社出版販売から刊行された三田洋の評論集。装幀は岡本信治郎。詩論・エッセー文庫12。
評論集『感動の変質』を出してから数年が経った。それ以降書いたものや前エッセイ集に収録できなかったものを収録した。もっと収録したかったのだが、ページ数の関係から、その多くを割愛した。既発表のものが大部分だが、その殆どに手を加えた。やはり耐えられなかったからである。
現代詩が読者を失ってから久しい。書き手イコール読み手という「出島」的状況がずっと続いている。その要因としてはいろいろ考えられるが、その一つは、抒情性の軽視にあるとわたしはおもっている。抒情性こそ詩の魅力であると確信しているからだ。そのことを執拗にかき続けていたら、いろいろな方から激励の手紙や声をいただいた。ぜひ二十一世紀は抒情の時代にしたい。
中原中也や童謡詩人金子みすゞは同郷の詩人である。その観点からも追究したつもりである。高村光太郎「智恵子抄」は智恵子の側から考察してみた。するとわたしには光太郎は加害者として浮かびあがってきた。また中也の陽射し恐怖症などじぶんなりの視点を展開したが、ご批判などおきかせいただければ幸いである。
(「あとがき」より)
目次
・抒情性こそ詩の魅力である――●詩論
- 抒情の世紀――抒情詩の復権をめざして
- 現代を生きぬく認識的抒情――存在が存在を問う無謀の旅
- 作品の彼方
- 軽量化に晒される「生」――いま現代詩に問われるもの
・眩しい陽射しが怖ろしい―●詩人論
・錆びたナイフ――●随想とエッセー
解説 小川英晴 あらたなる抒情詩の復権を願って
あとがき