1959年10月、次元社から刊行された津村節子(1928~)の第1著作集。装幀は松谷春男。著者は福井市生まれ、刊行時の住所は東京都北多摩郡保谷町。
これは私の処女作品集です。
はからずも、ここに集められました作品は、ことごとく女の虚栄心を扱ったものばかりになってしまいました。私が、最近一番多くそれを題材に選んでいるということになりそうです。
虚栄心という、まったくどう処理しようもない宿命のような業を背中に刻み込まれて生れてきた女達のおろかしく浅薄な努力。その馬鹿らしさ加減を自ら知っていながら、それから脱け出すことも。きず傷ついていく哀しみというようなものをひきずり出して見つめたいという、多少自虐めいた情熱で書き綴ったものばかりです。
もちろん、現実からある衝動を受けて筆をとりますが、それをそのまま作品の中に移行させることは避けたいと思っています。現実から受けた衝動を一つの主題にまで昇華させて、その主題をより一そう強烈に適確に作品の中に生かすために、自然と虚構された場を設定することが必要なことのように思っております。無論こんなことは当然すぎるほど当然のことでしょうが、日常身辺の事柄から題材を選び、事実に密着しすぎたものを女はとかく書きがちですし、現にその方が自分も楽で、人々の共感もよびやすいということも知っております。私自身も、それにおち入りやすい弱点を持っておりますので、必要以上に事実は真実ではないと自分にいい聞かせているのです。
小説の面白さは?……と聞かれましたら、今の私は、心理的なロマネスクだ、とラディゲにならって即座に答えそうです。人間というはなはだ漠然とした摑みようのない動物。その胸の中に起る雑然とした心理的な陰翳。
人間というものは、この世に起る様々な現象を、抽象的な操作で一つ一つ分析して一つの秩序の中にはめ込もうとする作業を果しなく続けてきたように私には思えます。
私もそれと同じような操作で、人間の胸の中に起るさまざまな感情を分析することに美と情熱を感じております。未熟な私の作品が、一つの本になって世の中に出ていくということが、どうしても信じ難いほど恐しい気がしております。一生に一度で良いから、単行本が出たら……と夢みていたことが、現実のこととなって現われていることに、ひどく途惑いを感じております。
これは長い間ご指導いただいた石川利光先生のお口添えによるもので、ただただ感謝申上げるのみでございます。
(「あとがき」より)
目次
- 華燭
- 孔雀
- 模造
あとがき