2013年10月、思潮社から刊行された原田勇男(1937~)の第9詩集。著者は東京生まれ、岩手県松尾村育ち。刊行時の住所は仙台市泉区。
前詩集『炎の樹連禱』(思潮社、二〇〇六年)を出した後、しばらくどんな詩を書いたらいいのかと自問した。長年の連作をまとめた後だけに、虚脱感があったのかも知れない。さらに年輪を重ねたせいか、森や海、鳥などの自然と人間の心を主題にした詩を書くことが多くなった。この詩集のⅠに収録した作品群がそれである。しかし、ミューズ(そんな存在がいるとすればだが)は、その境地にとどまることを許さなかった。仙台で東日本大震災を体験し、自分の生きている世界が根底から崩れたような衝撃を受けた。大自然の脅威に直面し、人間があまりにも非力なことを痛感した。また、言葉が現実に対していかに無力であるかをしたたかに知らされた。だが、詩を書き続けている以上、言葉によってしか現実に立ち向かえない詩人の宿命にも気づかされた。
宮城県石巻市はゆかりの地である。妹夫婦は東京にいて無事だったが、知人の何人かは津波に流されて今も行方不明だ。震災から二週間後の三月下旬、私はバスで石巻を訪れた。旧北上川の河口に近い商店街では、赤い漁船が空から降ってきたように通りを塞いでいた。海に面した南浜町や門脇町では、大津波と火災によるガス爆発で、ほとんどの建物は破壊され、がれきの街と化していた。この体験から本詩集Ⅱの冒頭に収めた「がれきのかなたで海は青く」を書いて〈現代詩手帖〉二〇一一年五月号の東日本大震災特集号に発表した。私が震災の詩に向き合う原点になった作品である。最終連に犠牲者の声を幻聴のかたちで挿入したが、この辞世の言葉がなければ、犠牲者たちの無念の思いは救われないだろうと考えた。それは再生への切なる祈りであり願いだった。石巻の友人は「今のありのままの状態を見てもらったことはいいことだ。私たちはここから石巻を復興させたい。必ずやり「ます」と力強く語った。その言葉が今でも忘れられない。彼は石巻の再生のために全力を尽くしている。
その後、仙台市荒浜ほか各地の海辺へ足を運んで、想像を絶する現実に直面した。復興への歩みは遅く、被災地は試行錯誤の連続で、希望と絶望が背中合わせの状況が続いている。だが、犠牲者の「かけがえのない魂の声を聴き取る行為も、震災を体験した人間に課せられた役割である。過去と現在、未来を俯瞰しながら、詩の表現を通じて復興への思を発信していくことが、この困難な時期に詩を書く人間の使命ではないだろうか。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 幻視行 東日本大震災以前の詩 2006~2010
- 夢幻のとき
- 森の中へ
- エジプトの鳥の木に
- 海が満ちてくるとき
- どうして木や鳥のように
- 鳥になった少年
- スケッチの時間
- 桜吹雪の中で――追悼・山本哲也さんへ 影の男
- 幻視行
Ⅱ 船が屋根を越えた日 東日本大震災以後の詩 1 2011~2012
- がれきのかなたで海は青く
- 船が屋根を越えた日
- 海の壁がしぶきをあげて
- いのちを救う声遠藤未希さんの霊に
- 生き残った者として
- 心の翼を広げて
- ガンジス河のほとりで
- 無言歌
- かけがえのない魂の声を
Ⅲ 未来からのまなざし 東日本大震災以後の詩 2 2012~2013
- この世のどこかに
- 雨は灰とともに
- 森の精となって
- 言い伝え
- オフリミットの先に
- 抱きしめようとして
- 風の遺言
- 屈折した時間の甕をかかえて
- 杜と川と海辺のまちで
- 未来からのまなざし
あとがき