2018年5月、書肆山田から刊行された井野口慧子(1944~2019)の第3詩集。カバーは迫幸一。著者は広島県生まれ、刊行時の住所は広島市西条町寺家。
二〇一三年の秋、定年後に広島から名古屋に移っていた中原秀雪さんから、彼が主宰している同人誌「αpχή(アルケー)」に書かないかとの連絡を頂いた。二〇〇五年に、木川陽子さんとの二人詩誌「水声」を、彼女の他界で終刊してしばらく時が経っていた。同人誌でもう一度勉強する時期なのかもしれないと感じて、二〇一四年春、第六号から参加させて頂いた。
半世紀前に、故杉本春生先生が選者だった中国新聞の〈中国詩壇〉の投稿者数人で「炎」という同人誌を始めた。その時の中原秀雪さん、寺尾進さん達と、以前「地球」の同人だった頃から知り合った茨城の硲杏子さん。その後に名古屋の宇佐美孝二さんと、「アルケー」は、現在五名の同人である。
今回「アルケー」第六号から一七号までの作品を中心に、未発表の作品を加えてまとめた。
カバーの写真は『火の文字』(コールサック社)などの表紙の画家・中西征子さんの父、写真家の迫幸一(一九一八二〇一〇)さんの「神話」(一九六二年「二科展」招待作品・東京都美術館・提供迫青樹)。
中学一年からの親友の家が通学途中にあり、毎日のように立ち寄っていた。今振り返ると、写真家・迫幸一さんが、生まれて初めて出会った芸術家であったことは、本当に幸せなことだった。何かにつけては出来上がった写真を見せて頂き、その世界は私にとって、ごく自然に詩の世界に繋がってきた。
二〇一〇年の広島市のギャラリーGでの生前最後の個展に寄せて、写真家・港千尋さんは、次のように記されている。
「世界から色を差し引き光の言葉へ翻訳する写真は、歴史をつうじてモノクロームの微妙な諧調のうちに、新しい詩学を見い出してきた。
迫幸一氏の写真はモダニズムの精神を受け継ぎながら、パリともベルリンとも東京とも異なる、場所と時代に根をおろした独自の表現を獲得している。それは広島においておそらく光と影の戯れが記憶と再生のドラマへとつながっているからであろう。(……)
見慣れた都市は暗室のなかに反転し、いまここにいきることの意味を静かに問いかけている。緻密な構成をもった画面を横切る春風にも似たやさしさは、わたしたちの内にある大切な色の存在に気づかせてくれる。」
昼間に撮影した瀬戸内海の島の除虫菊の花たちを、このような夜の神秘の中で浮き上がらせたモノクロームは、技術によるトリックではない。まさにそこで出逢い、やがて神話の世界に連れていくようだ。見ている内に言葉が自然に生まれ詩になった作品もあり、改めてこの出会いに感謝している。(「あとがき」より)
目次
- 大水青
- 時の贈物
- 兆しのように
- 凍蝶の見た夢を――
- 草間彌生 〈原爆の足跡〉に
- 木を植える男
- 世界が悲しければ
- シダレヤナギ
- 眠るチェンバロ
- 冬至の日
- 明日香の星
- 花非花
- 約束の日
- キジトラ猫の贈物
- きいろいゾウ
- 初夏のスケッチノート
- 洗って洗って
- 燕石
- 初秋のスケッチノート
- 栗は夜露に
- 編む
- シャボン玉の一日
- コスモス
- 橋
- 白いカタクリに
- 残照
- サモトラケのニケの風
- 母
- 千の花びら
- 潮搔通信
- 透明な一日
- ナイルの星
- 空の羊
- ツユクサ
あとがき