1966年9月、初音書房から刊行された引野収(1918~1988)の歌集。装幀は竹村利雄。短歌世代シリーズ第8集。
この歌集<石牀の歌>の内容をなす作品は、昭和三十八年から同四十一年五月までに、主として<短歌世代>に発表したものを中心に採録し、<短歌><現代短歌>などに発表したそれ以前の作品若干をも加えている。
現代医学の治癒圏外に置かれたままの、絶対安静の仰臥生活も、もう二十年になり、生活とともに、私の文学視野もまた限られていてまことに狭い。<第三次・短歌月刊><短歌祭>時代の延長線上のままに、いくらかは、作歌する根性のようなものに徹したいと努めたまでである。ただ、昭和三十三年十月に<短歌世代>を創刊したことなどが、せめても平坦な私の歩みに、新鮮な文学刺戟を与えてくれた。それにしても、辱多く悔しみ深いこの病歳月に、私は余りにも、私自身に執しすぎたきらいがある。あきらめに慣らされきったような、この一見平穏な病者の自衛的姿勢にも、なお、魂のうちそとには、激しい嵐が吹き暴れていた。私は、ひたすらみずからを見喪うまいと、いよいよ底ぶかい闇に、測深鉛をたぐりつづけていたようだ。生きゆくことの裡に、おのずからに知る、生の意味の重たさ、生の奥行に、いまさら愕きをあらたにさせられている。
私生活についてはもとより、作品に関しても、余り自註的な多弁は労したくない。なるべくなら、作品自体に語らせたいのだ。だが、ただ一言蛇足を加えるならば、"詩は美しき忿りであり""死と背中合わせの生への脱出"にほかならぬとする、私の作歌信条めいた心組みは、従前と何ら変りがないと言うことである。私は今なお生かされる身の倖せに、心つつしみ、こころ責めつつ、余生を賭けて、歌によるわが終意を、せめてもの遺言の倫理としてとどめたいものと念じている。
生活保護法による扶助を受けている長期療養者の身で、遺歌集というようなかたちでなく、いま、こうして現実に、身にすぎた一集が、早急に上梓される運びに到ったこの僥倖に、ただおろおろと戸惑う思いでいる。
(「後記」より)
目次
・白檮館碑文
- 風の聲
- 旋流
- 冬の呪詞
- 仰臥磔
- 心涸る
- 死についての断章
- 再び死について
- 還流樹液
- 襞
・虛業私史
- 冬小幻
- 存生歎
- 水晶婚
- 石の褥
・人生跋詩
- 知を呼べよかし
- 激しき静止
- 阿吽忌録
- 茫茫
- 手鏡抒情
- 行方について
- 冬唱
- 病小變
- Kusuma
- 生活以前
後記