2003年12月、思潮社から刊行された吉野令子の詩集。第37回日本詩人クラブ賞受賞作品。
『秋分線 ritornello』から八年を経てここにようやく『歳月、失われた蕾の真実』を上梓する。この本に存在するのはその間の歴史的現実とのたたかい。振り返ると、じりじり迫ってくるものがあるいっぽうで、こちらが強者で、外国人などから奪う場面も浮かぶ。そう、たたかいとはそのときどきの認識のせめぎあいの謂にほかならない。ところがいま、あらためて眺めると、目前の頁のなんとぼうようとした色彩であることか。そして、この曖昧かつぼうようとしたたたずまいは言葉の深部にひそむ無意識をうつしだしていると思える。つまり迫りくるものにはそれなりに敏感だが収奪には無感覚といった態の。こうした無意識を防衣にまとっての屈託のない表情というわけなのだ。さてとはいえじぶんなりに営々と積み重ねてきた言葉にこのような感想を抱くことになろうとはむろん想像もしていなかった。要するに、気がつくと、この情けない感想がまるでなにがしかの成果でもあるかのように掌にのっていたのだった。呆然となった。そして、どのくらい経ってからだっただろうか、傍らでかすかに鳥の羽搏きを感じた。それに誘われて想いを進めた。これならばできる、と。つまり言葉に声をかけることはできる、と。強度を有さない言葉への苛立ちから、いよいよ曖昧かつぽうようとした、いよいよしみじみとした、日々の歌や、たんに美的な範疇の、言葉への回収、それへのいましめ。ああ。ふうっ。この地点まで移動して目前の頁の言葉を、心したうえでだけれどほんの少し肯定してもいいと感じる。
とはいえ、このさきも、寒い街路の歩行のほかにどのような方途があるのだろう。みずからの手で井戸の底へおろした、先端に刃物が結ばれた、白い粉雪の舞うリボンを指に巻きつけて、じぶんに向かってばっかみたいっとときに呟きながら、しかし誠意をもって、こつこつと歩んでゆくことのほかには。
前詩集(一九九五年)を纏めてこのかた、父と母はずっとまえだが)、I.NとT・Yというかけがえのないひとを失った。しきりにこのひとたちが一生懸命に生きた姿が思い出される。
(「跋」より)
目次
- 線
- 山水画
- その冷夜
- 便り 他一篇
- 美
- 際について 三篇
- 愛情
- court
- 告、または幼ない者のために見つめる閾
- 路上の日
- この言葉を発する恥辱に耐えうるか
- 記録 他二篇
- 一筋の血のような事象
- 歳月、失われた蕾の真実
- 幽か
- 寒中の死
- 玲瓏と光る午後の下の対話
- 雪のカフェテラス
- 哀しみ
- 宇宙への通路
- S街路の倫理
跋