カリスマのカシの木 富岡多恵子詩集

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 1959年9月、飯塚書店から刊行された富岡多恵子(1935~)の第2詩集。装幀は池田満寿夫

 

 富岡がH賞をもらったとき、その祝賀講演会でぼくは彼女の紹介をやらされた。そのとき、ぼくは彼女と始めて会ったのが前日の事件であること、そしてそのときの彼女とぼくの行状をつぶさに臆面もなく報告したのだが、そのあとの自己紹介の場で、彼女が、いま長谷川龍生のいったことは嘘がまじっているという風なことをいって弁明につとめた。ぼくは、その場で非常な憤激をおぼえた。とにかく彼女をかんぷなきまでに、ひっぱたいて公開の席で詭弁を弄することが、いかにいけないことであるかを、さとらしめようと思った。
 しかし、それはある理由で中止することにしたのである。何故ならば彼女のお母さんが、はるばると大阪から、娘の晴れの授賞式を参観しに来ていたからである。
 その後、「季節」というつまらない詩の雑誌でそのときのことをゴシップにかき、長谷川龍生のはなしした内容は大笑いの種であったといったのには、またまた憤激した。編集者の伊藤信吉氏には会わないが、会えば、その話をもちだしてそれをかいた本人がだれであるかを追究し、わかれば富岡に上京してもらって、目の前で、足腰の立たないまでに半死半生の目に会わせてやろうと、そのチャンスを待っている。――
 さて、富岡の作品であるが、これほど、自己弁明、自己韜晦にみちみちたものはない。社会とのアプローチにおいて小さい傷を避けるため、自らが大きな傷をぱっかりとあけているのは、まさに無意味なことである。そのことは、富岡に会うたびに、ぼくは注意している言葉だ。前世代詩人のあいだではどうかは知らないが同世代詩人のあいだでは、富岡の作品はあまり高く評価されてもいないし買われてもいない。その実力のままで認められている。その理由は、自己弁明と自己韜晦の場でしか発想が実らないということに帰因する。「カリスマのカシの木」という作品などはそのピークたるものである。もしこれを富岡が第一作とするならば、それは彼女が前世代詩意識の季節はずれの落し子であることを自己証明することになる。富岡のカテゴリーの中におけるオートマチズムの方法は、なぜ自己弁明や自己紹晦の世界でしか往復運動をくりかえさないか、それは彼女の認識の世界が現実社会に対決したカメラ・アイを基盤にしていないためである。イメージの明確性に欠けることも、それに従属する。
 それにしても、ばくは富岡に大いに期待して止まないものがある。日本語におけるオートマチズムが一つのパターンを破壊して、べつのパターンを作ってしまう宿命を身をもって一掃し、一つの地点から一つの地点までのイメージの距離を、重復層に造型し変革していくという実験が、彼女にのこされているからである。日本の若い詩人には、そのようなタイプの詩人は少い。彼女の実力は、その実験を手がけることによって、その真価が発揮される。
(「解説/長谷川龍生」より)

 

この詩集の作品は現在までだいたい一年余りの間に書かれたものである。もちろん、一年の間に平均して書かれていない。それ故、作品を三部に分けてあるのは、構成の上での多少の演出もあるにはあるが、これら作品の時間に対してわたし自身のこころおぼえに過ぎない。
 わたしは今まで、自分といういちばん遠い読者すら感動させぬような作品を、たえず嫌ってきた。しかし、その感動は作品から強制される沈黙であり、作品によって言葉を奪われる沈黙であるとき、その作品に対しようとすれば、どうしても新しい言葉を発明しなければならぬという創造の苦痛を要求するもののように思えてきた。しかも、詩に於ける抽象の道具がことばであり、音楽や絵画と異ったところで、それは充分に現在という時間で決定されているものであった。その上に、すでにある詩語を拒むというより、それに入る場所を見出せない場合、少々始末の悪いことになってくる、とこんなごくありふれたことに困りはてている。
(「ノート/富岡多恵子」より)

 


目次

  • カリスマのカシの木
  • 帽子をふる
  • ハッピー・エンド
  • 裸体画
  • ひとつの論証
  • フェアウエル・パーティー

  • 機智
  • 長い時間
  • こどものこころは
  • 明日は明日
  • Common Cold

  • よみ人知らず
  • 赤面恐怖症
  • エンゲイジ・リング
  • もの好きな話
  • 行事
  • 反意語
  • 庭を耕す

解説 長谷川龍生
ノート

 

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