井戸のなかの魚 瀬谷耕作詩集

 1969年11月、黒出版社から刊行された瀬谷耕作(1923~)の第2詩集。著者は福島県西白河郡生まれ、刊行時の住所は水戸市

 

 田植えの夢を見たから、と母はよく仏壇に線香を立てた。田植えの夢はわるい夢とされていたのである。なぜ凶夢であるのかは言わなかった。
 近ごろ、ぼくも田植えの夢を見ることがある。故郷の人々が、色彩も鮮かな田野のなかに、黒々と動いて見える。すべて、今はこの世にいない人々である。ぼくの場合、田植えの夢すなわち故郷の夢、故人の夢である。それが心身衰弱の現れであることはたしかである。心身の弱りめには、病気、けが、事業不振等が起こりやすい。したがって、故郷の夢を「凶」と判じた昔の人は賢かったとも言える。
 しかし、母にとって、田植えの夢は、故郷の夢ではなかった。それは回想の中のものではなく、毎日の骨身にひびく現実であった。夢にまで稲を植えることは、それが最も心配なことであったからでもあったろう。が、また、それは、苛酷な現実――過重な小作料、高利の肥料代、不安定な天気、手不足等々と対決してたじろがない、心身充実の現れとも言えよう。それを、なぜ、凶夢として、「夢違え」の焼香をしたのか。理由は、たぶん母もわからないまま、身に迫る凶変の予感におびえて、仏神の加護を念じていたのであろう。
 今、ぼくは、夢みるたびに、そうした母の姿を思い出す。そうして、ぼくの病身とわがままな生き方のゆえに、母が悲しみのうちに死んで行ったことを思う。思うことがあまりに深くて、胸が痛むときは、ぼくもまた仏前に線香を立ててみる。仏の加護を念ずるわけではない。ただ、細い白煙が、仏壇の天井まで立ちのぼるのを見ているうちに、いろいろな雑念が湧いて来て、胸の痛みが消えるのを待つのである。
 バスの中などで、七十才ぐらいの老人を見ると、どの人もみな、ありし日の母に似ているように思われる。特に、両の掌だけがたくましい農家の老人を見るとそうである。そのたびに、自分の生き方次第では、自分の母もこのように今も生きていて、バスに乗っていることもありえたのだと思う。そう思いながら、乾魚のように、筋ばってすべすべするその手を取って、自分が立ったあとに坐らせることもある。人は感傷とも、偽善とも見るであろうが、ぼくにとって、これは、自分のわがままゆえに母の生命を縮めてしまったという悔恨を振りすてるための身震いである。バスが発車するとき、ぶらっと倒れかかる老人を支えて立つ、あの空間に、一つの天を感ずることもある。愚昧とも、醜悪とも言えるあれら老百姓たちの像によって荘厳される、自分の「幼年」を目の前に見る思いがするのである。
 詩作もまた、ぼくの場合、この焼香や席譲りの行為に似る。それは、自分をがんじがらめにする悔恨や望郷や不安等の諸念を振り棄てるための身震いである。それは、人類の未来にかかわらない。一九六九年の天下国家の情況にもかかわりあわない。ただ、つかのまの祭壇のように、自分の「幼年」を組み立ててみる、あすは、あとかたもなく忘れるためにである。
 多くの人は、「一つの区切りをつけるために」詩集を出すという。ぼくもそれに倣う。この本のあと、ぼくは、詩を書けなくなるかも知れない。そうなることが、ぼくにとって、よりふさわしい状態であるようにも思われる。しかし、今までは、このようなものを書かないではいられなかった。これもまた一つの「夢違え」の作法として、ぼくは一冊の本にまとめた。
(「あとがき」より)

 

目次

  • 手拭い
  • プロペラ
  • とっくり
  • さかな
  • 社会
  • だいこんと犬
  • ううちおんつぁ
  • こうはまんじゅう

あとがき


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