1991年8月、すみれ通信舎から刊行された川崎彰彦(1933~2010)とたなかよしゆき(1950~)の往復書簡エッセイ集。装幀装画は粟津謙太郎。
「トラック日本」編集部の宇多さんから、自然にまつわる往復書簡形式のエッセイ連載という企画がもちこまれたとき、ぼくがとっさに、おもいうかべた相手は年少の友たなかよしゆき君だった。たなか君はぼくなどよりはるかにフィールドでの経験を積んだ自然観察者だし、自然をうたっても、その背後に、たとえば中村草田男のような、人間界にたいする、したたかな批評が働いていることを知っていたからだ。
はたして連載が始まると、ぼくにとって、なによりも心たのしい仕事になった。シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」などは聴く者より演奏している当人たちのほうが愉しいといわれるが、ぼくたちにもいささかそんなおもむきがありはしないか、と読者にたいして恐縮している。ただ忙しい日本にも、まだこんなやつらがいる、という点にすこしだけ関心をお寄せいただけたらありがたい。この本にでてくる鳥や虫や草木たちは、その後ぼくが大病をしたとき、たえずぼくの病床のあたりに現れてぼくを守り、救ってくれた。おわりに、すてきな版画でひきたててくれた粟津画伯と過分なお言葉をたまわった杉山大先輩に深謝いたします。
(「あとがき/川崎彰彦」より)
『樹の声・鳥の歌』のような仕事だったら、わたしは何度でもしてみたい。連載させていただいた運輸業界紙の「トラック日本」は週刊で、わたしが書くとすぐに川崎彰彦さんの原稿がとどけられ、それにまたわたしが呼応して書くというパターンで、楽しくおしゃべりしているあいだに、あっという間に一年がたってしまった。あまり苦しんだ記憶がない。書きたいことがたくさんあって、書ききれなかったくらいだ。わたしにはこんなかたちがぴったりしているのかも知れない。思えば、楽しい暖かな一年であった。
わたしは粘液質的な観察家だから、この世界はいつも新鮮でびっくりすることばかり。観察したことや発見したことについて詳しく書けば書くほど、より観察や発見が深くなるという相乗効果がもたらされて、ほんとうに充実していた一年なのであった。ところがあれ以来、こういう仕事はあまり来なくて、したがって相乗効果もなくなり、わたしの観察や発見もずいぶん平板になってしまった。ここらでまた発奮しなければならない。
(「たなかよしゆき/あとがき」より)
目次
- ディキンスンの詩とこまどり
- 早春の奈良・高畑界隈
- 黒い瞳の少女
- 夕べの煙
- 山頭火旅日記より
- アセビ咲くころ
- 冬のおわりの蛾
- ヒマな一日、歌仙を巻く
- 春の草摘み
- コブシの花見
- 樹々が緑の宝石となるころ
- ヤマモモ煙を吐く
- ヒゲ氏と釣りにいく
- 菅原克己さんを偲ぶ集い
- 夏にしのこしたこと
- 初秋の風のなかで
- セクシー、献身的・クモの交接
- 新薬師寺のハギ、野のヒガンバナ
- ひとり、列車に揺られて
- 奈良高畑の一年
- 魯迅とェロシェンコ
- 「あひるの喜劇」青蛙(チョンケグリ)
- 夢でこどものムササビひろう
- 詩人であることがいけない
- 大和国築山・晩秋のスケッチ
- 初めて馭者座を知る
- 霰降る朝
- はるかな尾瀬……
- 幼稚園で一日、どろだんご先生となる
- 吉野川上流のカジカ
- オカトラノオとヌマトラノオ
- 鳥はなんと鳴くか
- 大和国築山・初夏風物誌
- 矢田寺のはずれ
- 海を渡る鹿
- ネジバナの朝、ホタルの宵
- 夏、渓流で遊ぶ
- ヒグラシどきの散歩
- クモの大活躍
- 二つの詩
- 伊良湖、篠島の旅
- トンボを見に行く
- 葛城山頂で元旦迎える
- 年末年始の読書
- 冬の大王崎
- 若草山の山焼き
- ランディ君の作法
- 簡素な生活、高き想い
- 田宮虎彦、小山清、高木護
- 耕治人の詩、それからミツマタ
- ぶらぶら人生、恵心の言葉
- シカの毛をぬくカラス
- 春の築山周濠
- 万葉植物園に座す
あとがき