1974年3月、熊谷印刷出版部から刊行された深沢紅子(1903~1993)の随筆集。編集は佐藤実、表紙装画は著者、装幀は伊藤憲治、写真は堤勝雄。著者は盛岡生まれの画家。刊行時の住所は東京都練馬区南田中町。
画家の深沢紅子さんが≪絵のある詩集≫と題する本を出されるという。六葉の色刷りの絵が含まれるが、エスプリとしては『絵のない絵本』(アンデルセン)のような文集であり、少なくとも絵と文章が同格であるような本である。
われわれはかねてから、その絵はもとより、紅子さんがときどきものする文章を愛好し、注目していた。われわれというのは立原道造が紅子さん宛の手紙のなかで、「あなたは絵をおかきになるから、目がいつでも風景やこまかいものについて行って、それでしっかりしたものをうみだす」と書いているからである。紅子さんの絵は簡潔で確かな線をもって味わい深いものがあるが、その特徴は書かれる文章にもあてはまるといえよう。
著者の生いたちの土地は盛岡である。岩手県の風土は『遠野物語』のように美しく茫漠としており、石川啄木や宮沢賢治などの詩人が生まれたお国柄として知られている。
詩人の道造もその死の前年の秋、著者のすすめで、盛岡の「生々洞」(愛宕下にある父上の別墅)を訪れ、一カ月という短い期間ながら、彼の盛岡日記<<ノート≫にみられるように、じつに心豊かで実り多い生活を過ごし、それが彼の最後の精神形成の上で重要な転機になっている。
そこで<<絵のある詩集≫は、前の部分は賢治や道造をはじめ堀辰雄、鈴木三重吉、岡田三郎助先生ら文人や画家の思い出や、受けた感銘について語られている。
また本の後のほうは、盛岡や南部の土地の風物・文化、すなわち民話や方言から料理まで、あるいは昔の街のたたずまいまで、いきいきと語られている。著者はふるさとを思って土着的とさえいえるが、さきにのべたように、その目は澄んで客観性を失なわず、「お国なまり」でのように、おおらかな笑いもあるのがうれしい。
中ほどの部分は旅日記で、それらは珍しい町や思いがけない土地ばかりにでかけた紀行文で、読めばどれも行ってみたくなるほどである。例えば外国ではストックホルムの北方の「アベスタの公園」、アムステルダムの近郊にある中世後期の古いひっそりとした町ナールデン、さては戦前の内モンゴルのパオトオ(包頭)の話など興味はっきない。この本は、ちょうど盛岡のお国料理のように、多彩で珍味で、カリカリとしてしかもしっとりとした味わいをもっている。
深沢省三・紅子両画伯の家は<アトリエの二つある家>として知られている。今夏は省三先生の盛大な個展が盛岡で開かれて評判をよび、つづいてこの<<絵のある詩集≫が上梓されることになり、<アトリエの二つある家>にとって、なかなかおめでたい年であった。この本の上梓が待たれる所以である。
(「序/生田勉」より)
目次
序 生田勉
・絵のある詩集
- 堀さんのこと
- 絵のある詩集
- 初秋、軽井沢にて
- 詩集の絵
- スケッチブックを頼りに
- 堀さんと立原さんのこと
- 盛岡に行った立原さん
- 盛岡の立原さん
- 目白時代の三重吉先生
- 一ぱいの水
- 塚原さんと野草
- 大きなこね鉢
- 女子美術の岡田先生
- 女子美時代のこと
- むかしの春
- 十一月なかばの日
- 無題
- 交番のバラ
・旅の絵日記
- 旅の絵日記
- 静寂の町
- アベスタの公園
- 一本の野草
- パオトウの思い出
- 野の花に想う
- ねざめの床
- 知床に花を求めて
- 野に咲く花、そして月の光
- 野の花
・お国なまり
- 山ずまい
- 月夜
- 祖父の思い出
- 美を求めて
- 赤き茎
- お国なまり
- 岩手リンゴ
- 盛岡散歩
- ホロホロやわんこそば
- 盛岡べんの手紙
- 岩手の民話
- 父の思い出
- 日本のおんな
- 小さな幸せ
- 故郷の正月
- 酒の肴
- 郷土への年賀状
- 機の音
- 古い地図
- 冬の遊び
- お雪さん
- 今の人の知らないこと
- いささかの驚き
- 歳月
あとがき