ミラボー橋 杉山平一

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 1952年9月、審美社から刊行された杉山平一(1914~2012)の短編小説集。装幀は花森安治。画像は裸本。

 

 杉山平一君は極めて尋常な紳士で、極めて周到な知識人で、圓滿な勤勉家で、微妙な神經と多種多樣な才能との持主だ。かういつただけで、何かお世辭を用ひてあるやうに聞えるかも知れぬ。さうではない。私は金釦の大學生時分から、十數年も彼を見まもつてゐる。彼は最初短い酒落た詩を書いてみた。後に「夜學生」といふ新鮮な内容のしつかりしたつつましい、いい詩集になつた。そこにある心はつつましく温く鋭い、さうして甚だ品がいい。その後「背たかクラブ」といふ童話集が出た。ハイカラな詩趣にあふれた、いはば散文詩のやうなユーモラスな作品が、みづみづしい果もののやうに盛られてゐるのに驚いた。この本は裝幀も插繪も著者の手になつたもので、それはその方の專門家のものよりも、思ひつきがよく心がこもつてゐた。技術も相富なものだと感服した。その前後からこの著者はまた特異な探偵小説を書きはじめた。その方の仕事は私の方へは聯絡がないから、私は偶然の機會に二つ三つ瞥見をしたのみだが、素人藝ではないらしい。詩人の杉山君がかういふ知的遊戲を嗜むのは、恰もアラン・ポーのやうな概があつて、不思議でも何でもないだろう。それからまた杉山君は、古い映畫通で、著書もあり、その方の批評家としてもひとかどださうだが、私はいつからそちらの方面は不案内で、彼の話相手すら勤まらない始末だ。
 さて今度の小説集だがこの方の勞作は以前から度々原稿でも讀ませてもらひ、その後雜誌に出たものもおほかたは拜見しつづけてある。杉山君の心の世界がいちばん深い奧ゆきと廣い面積とで委曲をつくして示されてゐるのは、やはり何といつてもこの仕事であらう。現在彼は實社會の實業家としても人竝以上の大役を背負つて、日々の時務にかまけて餘暇がないだらう、――それはもうさらに違ひなからうと察せられるが、彼の小説の方には唯今までのところ、その方の消息はほとんど洩らされることが稀れで、ここでは青春の回顧や、家庭内の幸不幸、身邊の實人生が、力めて鋭く冷靜に行とどいた眼光で一々念を押すやうに問ひかへされ確かめられてゐる。ユマニスム一般に問題にむかつて、彼は彼自らをいく度か濾過しようと專心筆を執ることをやめない。その姿がまづ強く私を撲つ。彼は何か大きな設計のある建築の基礎固めのやうなことをやつてゐるつもりで、書まの仕事に疲れた後の彼自身の時間で孜々として樂しんでこれらの創作に耽つてゐるのであらう。さうしてそれかといつて、これらの創作が固くるしく讀みずらくはなく、一種寛々たる餘裕を以て、時には機智やユーモアを弄するだけのゆとりのある心の上に、すつきりと美しく書き上げられてゐるのは、頼もしく、流石だ。
 杉山君は、當節はつたり文士の弊に倣ふことがいささかもなく、珍らしく多岐な彼の才能を、それぞれの分野で靜かにいたはりはぐくむことを怠らない。かういつては彼の苦笑を買ふだらうが、彼には一種君子の風がある。至囑々々。幸ひにその四通八達の豐かな天賦を完成し給へ。
(「杉山平一君/三好達治」より)

 

 これらが、嚴密な意味で小説と呼ばるべきかどうかは、私にもよくわからない。
 私は詩を書いてゐたが、詩集「夜學生」を出したあと、詩がどうあるべきかを考へるにつれ、私は詩をつくるために自らをひどくゆがめなければならないのに次第にくるしくなつてきた。そして自分が最も素直に自分であるために、これら數々の散文を試みてみた。だが更にこれを小説にするためには、やはりまた姿勢をまげねばならないのを感ずる。そのために敢えて小説らしさをも私は捨てた。詩では歌へず、小説では歌ひすぎるのが自分のわるい癖だが度量のひろい小説はこれを許容してくれるやうな氣がする。
 それでも「父」のごときは、科學技術小説のつもりで書いたのである。シュペングラーはじめ近代の機械と人間のたたかひに、いつも機械にいためつけられる人間のみじめさを人は説くし、その人間の尊嚴を主題とすれば小説の恰好はととのふが私は自分の主張からそれを執らなかつた。
 かたちに於いても、小説らしさのための描寫など自分に興味のないものは、これを捨てた。
 しかし小説といふものが一般が、餘りに男女がいかに結びつき、また離れたかといことを、行爲の基本として描いてあるので私はついさういふことを書かねば小説にならぬかと思つてものしたものが「戀する人」などである。
 それでも、「ミラボー橋」のごときは、發表した雜誌では詩として取扱はれた。「星空」は探偵小説として取扱はれ、私もまたそれを試みたのであるが、自分の好みをそのまま出してあるので、自分のものとして集録した。
 この本が詩集であるか、エッセイ集であるか、小説集であるかを私はあまり氣にしない。ただ私の獨自のものであるかどうかを心配してある。
 私が「四季」に投書してゐた時分選者だつた三好達治氏から丁重な序文を頂戴した。どうかして三好達治氏に納得して頂けるやうな詩文を書きたいといふのが十數年來の私の念願で、いつもはるかに三好氏のきびしい目を感じてゐた。今次第に詩からづりおちて行きさうなのに、かういふ身にすぎた文を頂き、まつたく嬉しいやら恥かしいやらで恐縮感動で胸が一杯である。
(「あとがき」より)


目次

序 杉山平一君 三好達治

  • 動かぬ星
  • 虚像
  • ミラボー
  • 季節
  • 暗い手
  • 陰影
  • 月明
  • 巡航船
  • 星空
  • あしあと
  • 春寒
  • 戀する人
  • 通信教授

あとがき


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