1966年9月、山梨シルクセンター出版部から刊行されたやなせたかしの第1詩集。装画は谷内六郎。
いちばんはじめの言葉をかくのはむつかしいことです。なんといっていいのかよくわかりません。
友だちの漫画家谷内六郎君と電話で話しました。ボクは大いにテレながら「つまり・そのオ・詩集なんてものじゃなくて、まア歌謡曲、流行歌のたぐいなんで恥かしいのだけれど……」
谷内君はしかし厳然とした声でいいました。「歌謡曲のほうが、現在の詩壇の詩よりもはるかにリッパです。流行歌の中にすばらしい詩があります。詩の本質はそういうものです」
ぼくは心の中にあったモヤモヤしたものがスッキリしたような気がしました。これらの詩は読むためよりも歌うことに主眼をおいてつくってあります。詩に定型があるはずはなく、難解な詩が高級であるとは限らず、いずれにしても心にふれるかふれないかということが重要です。
さて、そこで、ぼくの詩は……。(「はじめに」より
作者略歴
高知県に生れる。旧東京高芸卒。商業デザイン専攻。三越宣伝部勤務中、マンガをかきはじめる。退社と同時に漫画集団加入。
詩歴は別にないが、井伏鱒二氏の「危よけ詩集」を読みそのわかりやすさに感動、難解でない詩をなにげなくかきはじめるが、その大半は散逸して手もとにない。「てのひらを太陽に」が代表作。
現在も詩人ではないが、マンガと平行して依頼された詩をかいている。詩集におさめられた半数は連読ドラマ「めい犬ドン」の挿入歌と、週刊現代連載の「ぼくのまんが詩集」からである。
現在映画の友に「シネ詩集」連載中、N・H・Kまんが学校の先生として出演、日本放送作家協会会員、昭和三十九年、四十年と新宿紀伊国屋でリサイタル。
仕事はマンガ、詩の他に映画評論、陶器製作、ハンカチ、革製品、喫茶店ディスプレイ等各種、気のむくまま、風のふくまま。
主義主張はない、あんまりせっせと仕事しないこと、好きなことを好きなようにやること、あんまり貧乏にならないことをモットーにしている。
希望は三才から百二十才ぐらいまでの人に愛唱されるヒットソングをつくることと、ステキな童話をひとっかくこと、おそろしく面白い上品なマンガをかくこと。しかし意け者だからできないかもしれない。
目次
はじめに
- てのひらを太陽に
- 好きな風景
- そよ風は友だち
- 小さな手のひらでも
- ひろった涙
- 友だち
- ごきげんいかが太陽さん
- 夜よおねがい
- ジャマスルナワルツ
- スズランの歌
- バイキン小うた
- ハナの上のレモン
- 誰かが小さなベルをおす
- 不安な娘のワルツ
- エクボの歌
- はしっこのはしっこ:
- シミル!
- わかれ
- 誰もしらない
- ぼくらはちいさな
- 人生万才
- ある日ひとつの
- あたたかい涙
- 愛する歌
- また夜が来て
- 今日よさよなら
- ニキビの花咲くころ
- 劣等生讚歌
- バラ色のクジラ
- チェックのしま馬
- ふしぎな都会で
- 冬のあいさつ
- ヘンナ・ラブソング
- 雪の街
- オオ ロンバルジャ
- 春のぼーし
- なにかのかたち
- ウマのホネの歌
- 気絶するほどの
- あんまり幸福になりたくない
- てのひらのうえのかなしみ
- ちいさな涙
- おもいだしちゃいけない
- みずうみ
- 月夜のブランコ
- 九月の歌
あとがき
ヘンな人・いずみ・たく・
フアンの一人として・谷内六郎
作者略歴