2020年11月、日野川図書から刊行された青山雨子(1961~)による則武三雄研究書。
私が則武三雄に興味を持ったのは、福井の詩人、広部英一全集を手にしたことからだった。この本を半分ほど読んだところで、無性に則武三雄のことが気になってきた。県下では則武さんと面識があるという人は何人かいる。しかし、詩の話になると続かなかった。全詩集があるとはそれまで誰からも聞いたことがなかった。
県立図書館に出向いてみると、それらしい本があることはあった。手作り風のもので、473ページ。編集が特殊だった。同じ詩篇が複数場所を変えて出現するのである。重複を除いて319篇の詩が、章も区切らずに延々と続いていた。誤植があり、ページが飛んでいる箇所もあった。一九八四年刊で三雄自身による編集である。しかし三雄が一九九〇年に没するまで、この後三冊の詩集を刊行している事や、朝鮮時代の雑誌や県内の同人各誌に発表された散文はひとつも掲載されていない。無いよりはましであったが、全集とは言い難かった。私が三雄の研究を始めたのは今から四年前であった。その間に、詩選集『赤い髪』を刊行した。二年前のことである。県下では、三雄の詩「ひとりの子供が歩いている」と「葱」を知る人は多い。しかし朝鮮時代のことを詳しく調べた人がほとんどなかった。三雄がスパイや特高だったのではないかと言う人さえいた。
福井県立図書館、鳥取県立図書館、米子市立図書館の司書の方々には大変お世話になった。また東京や大阪の図書館や文学館、京都の大学でもお世話になった。韓国へも何度か足を延ばし、三雄の足跡は至る所で見つかった。何十年も静かに息をして誰かが来るのを待っていたのかもしれない。
今日、日韓と日朝の関係、韓国と北朝鮮の関係に注視している。三雄が朝鮮時代に朝鮮の人々や文化に触れ、それを日本に伝えようとしたことを知ってから、私は朝鮮という民族を新たに見るようになった。マスコミで知られている朝鮮の顔とは違うものが、三雄が遺した文章や書籍の中から次々と発見できた。
三雄没後三十年が近くなってから、なぜ私が三雄を研究するようになったのだろうと考えてみると、終戦から十六年後に生まれた私が学を知ったのは家族からであった。日本人の両親や祖父母から滲み出る戦争時代の体験は、当時子供だった私の身へも充分過ぎるほど伝えられた。その記憶が私のなかに長く留まり、私を三雄に向かわせることになったと思う。
このようにあとがきを書く時がやって来て、私はひとつの目標に達しただろうか。またこの先、進むべき研究が現れるのではないか。この本をきっかけに、新たな人との出会いがあることを願っている。
(「あとがき」より)
目次
はじめに
第一章
第二章
- 1 終戦
- 2 福井で
詳細則武三雄年譜
則武三雄著作本一覧
北荘文庫刊行
三雄とゆかりのあった人々
あとがき
参考文献