1988年11月、編集工房ノアから刊行された桜井哲夫(1924~2011)の第1詩集。カバー装画は加藤祐司。編集協力は社団法人好善社。
草津の療養所、栗生楽泉園に桜井哲夫という詩人がいる。彼の年齢は一九二四年生れというから、いま六十四歳になる。十三歳でライの発症があり、二十九歳で失明している。
桜井は盲目のため自分で字を書くことができない。しかも咽喉を冒されたので、かぼそくかすれた声で口述をする。詩の口述とはどのようなものか、わたしたちには想像することはむつかしいが、おそらく盲人の頭のなかには、あらかじめ全体の構想、あるいは詩の模型があって、はじめて語ることができる。だから一般の健常者の詩のように、ポエジイとかカオスなどというものよりも、いっそう具体的なイメージであるだろう。作者は、手紙の代筆を頼むように詩の代筆を晴眼者に依頼する。このことは、詩の具体的、実在的な側面を示し、同時に、詩の仮説と現実に関わってくる問題を提起する。
「真昼の夢」をよんでみよう。「看護助手は笑う今夜きっと私の夢をみるわ」という。夢は現実に対して仮構の世界のように思われるが、必ずしもそうではない。ふとんを乾してもらっているこの春の日なかが仮定で、今夜異性と出会うはずの夢が、作者にとって切実な生活であることを主張する。こうして桜井は、夢と現実、死と生の交替する境界に詩を置いて成立させている。
「蛾」という作品もこれに近い。夜勤看護婦のさよならの足音が消え、そこから作者に蛾への変身が起きる。異性の蛾へのかなしい求愛と交合。それを終えたのち明け方に蛾は死ぬ。夜勤あけの検温にやってきて、城の死骸を発見した看護婦の声が小さく震える。作者はここで看護婦も自分と共犯であったことを匂わせようとする。つまり、朝の現実を、彼の夜の夢のほうへ引きこもうとする。
ふだん彼は多くの患者たちと車座になってビールを吸ったり会食したりする。そんなとき、偶然わたしも加わって話を聞くことがあるが、みなの雑談のなかで、「しかし」「しかし」という彼の小声の合いの手が聞こえ、なにかしきりに語っているのがわかる。人声が途切れた隙に「ぼくの話も聞いてくれないか」と聞こえることがある。「哲さんはさっきからしゃべっているじゃないか」と笑われ、桜井も笑う。そのような座談のなかでも桜井の話は切実で烈しい。
「死んだらどこへ行くか?」と桜井は問い、誰も答えぬから、「地獄へゆきたい、おれは」と自答する。そして語りだす。
「仏になったら詩はできない。極楽には人間がいない。仏ばかりでたいくつだろう。だから詩人は地獄へゆこうとする。地獄で地獄の詩を作るのが詩人だ。死んだあとも詩を作りたいから、地獄へゆきたい、おれは――」。
これは真剣な詩論なのだろう。試みに目を閉じて詩を書こう。晴眼者にはできはしない。その試みだけで、詩の意味が全的に変化する。盲人が暗黒のなかで詩を口述するとすれば、それは、語る、叙述する、というよりは、詩を行為するということだ。わたしたちが、眠りではなく目をつむったときの不安と暗黒の生を、彼は常時生きている。つまり、彼が死後も詩を書きたいといったことは戯れではなく、死はこの生のそのままの延長といっているにすぎない。だから、死後も詩を行為することが自在であるような地獄を選ぼうというのだ。
この詩集の最初の詩「慈悲心鳥」をみよう。目を失った。文字は読めない。点字を探るために残された指先の感覚を失った。やがて指そのものも落ちてしまう。彼は手と杖を紐でくくって結びつけ、歩きはじめる。どこへ。誰もいない慈悲心鳥の啼く雑木林の深まりへ。彼はカトリック教徒だから、自殺という文字を書いていない。おそらくは自分の、自然のもしくは偶然の死を、慈悲心鳥の林にゆだねようとする。しかし、つぎの詩「目」をみよう。死を期しながらなお、見えない右の眼窩からあたたかい涙があふれてくる。この涙は、桜井の涙であり、記憶を戻せば母の泣いた涙だ。桜井がどのようにして、幾度かの死を許容しこれを超えてきたか。その背景には、もう合うこともできない父と母のすがたが現われてくる。愛する故郷の両親を慕い、幸福を願いながら、彼らの息子である自分が、ライであることを告げる(「破戒」)。最初の二行。自分の生はこれしかなかった。悲しみ、悩み、憤り、絶望、それらの極限を経てなおも、これ以外の生を選ぶことができなかったことを、出生を明かすことによって告げる。告げたと同時に、これは告白ではない、宣言といっていい意志的な二行に変ったのである。これを書きはじめた今日、桜井哲夫から手紙が届いた。文面によると、この編集と校閲を好善社の人たちがなさっていることがわかった。そしてつぎのように書かれている。
「藤原先生からの通信をコピーして一緒に送ります。ルビは必要な箇所だけにつけたほうがいいと思います。盲導索は、大変読者が理解するのに困難と思いますので、解說の中で述べて頂きたいのですが、それというのも、私も柵と現在まで理解しておりました。ところが柵は動物などを逃がさない為に牧場などに使われる柵であり、盲導索は私たちが自分の意志によってその設備を使って歩行するのであり、公文書の文字も索となっております。あるいはアテ字かもしれません。いずれにせよ、一般の読者にはやはり解説が必要だと思いますが、いかがでしょうか。九月十六日」
明快な文である。藤原氏の指摘は正しく、柵は索でなければならぬ。同時に、この解説文にその断り書きを求めた桜井のこだわりには、彼のいう「意志」がこもっている。
わたしは二十数年、草津の療園の方々に友を得て、人々の文学表現のなかに、いくつかの特徴を発見した。鍵となる言葉でいえば、一は自殺。二は望郷・肉親。三は幻影肢。四は社会に求める全体的回復。それぞれについての説明は除くが、「幻影肢」から拡張される表現論を即身と名づけた。桜井が「あとがき」で触れている即身文学は、けっしてわたしの提唱ではない。わたしが彼らによって暗示された、ライ文学が本質的に持っている表現論だと思っていただきたい。ともすれば表現の技術に墮ちいりかねない幻影肢からはじまった問題を、桜井は、遙かに高いところで焦点を結ぼうとしている。その実践として、この詩集で「破戒」を書き、自身の本名と年譜を付したことは、率直にいってわたしのおどろきであった。わたしは桜井にとって詩の教師ではない。非ライの、晴眼者のひとりの友人として彼の詩の解説を書いた。
最後の散文詩を、何度も読みかえしてほしい。作者と、作者を包む周囲の人々の生き方が描かれている。この名もしらぬ周囲の人々に深い敬意を抱くとともに、彼の表現に手をかして、詩を記述して下さった方々につきない感謝を捧げる。
(一九八八年九月)
目次
序 小林茂信
- 慈悲心鳥
- 目
- 航空郵便
- 真昼の夢
- 座敷童子
- 空に描いた文字
- 不思議
- 雲
- 白杖
- 贈り物
- 足跡
- 小さな願い
- かくれんぼ
- 晩秋
- 丘の墓標
- 無影燈
- 雪の夜の子守唄
- 方眼紙
- 片道乗車券
- 診察
- 親父の拳骨
- 送り盆
- 蛾
- 糸でんわ
- 季節風
- 車窓
- さようなら
- ひかり
- 砂漠の中の少年
- ハガキ
- 霧笛
- 囲炉裏
- 破戒
- 巣立ち
- 原っぱ
- 年輪
- 枝萌え
- 津軽の子守唄
- 写生
- ロザリオの祈り
- ガキ大将
- 笹舟
- ふるさとの川
- 波紋
- 残照
- 産声
- 顔
- 蟋蟀
- ひかりを飲む
- あした天気になあれ
- 告白
- 天の職
- ひまわり
- 二度童子
- 野鳥共和国
- 稚児百合
- 枯葉
- 相馬が原にて
- 米屋のたっちゃん
- はたはた
- 松ぼっくりの歌
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