花芯 瀬戸内晴美

 1959年10月、三笠書房から刊行された瀬戸内晴美(1922~2021)の短編小説集。

 

 「花芯」は、昭和三十二年、十月号の「新潮」に、六十五枚の短篇として発表しました。
 それまでに、私は短篇集をようやく一冊持っていましたが、それに収めた作品は、私にとって、せい一杯のものではあっても、心の中で習作とよんでいました。私は生れてはじめて、文芸雑誌から需められて書く小説を、「習作」ではない「小説」にしたいと気負い、それまで長い間、思いつづけてきたテーマを投げだしてみました。
 「花芯」は、出てみると、思いがけない反響をよんで、私をびっくりさせました。そのほとんどは、批評家の手ひどい悪評でした。中には春本だと罵倒したものもありました。ジャーナリズムのセンセーショナルなものをねらっているとも勘ぐられました。
 短篇「花芯」の、気負ったところが、いくらかでも消え、私の意図していた作品として、もつと深い共感を感じていただけたら、どんなに幸せでしょう。
 批評の中に「子宮」という字が多すぎると御注意をうけました。私は「花芯」を、「子宮」というつもりでつけました。中国にそのことを花心と書いた言葉があつたと思いました。花心では、センチメンタルな字面だと思い心を芯にいたしました。
 この題を思いついた時、私は小学四年の春の日、理科の実験で、桜の花にメスをいれた時のことを、ありあり思いだしました。ふっくらと、根元のふくらんだ雌蕋を、切りさいた花の中から取りだした時の、不思議な感動がよみがえりました。ぬめぬめした雌の感触も、うす青い清冽なその色も、意外な鮮明さで、記憶の底に生きていました。
私の二冊めの本に、私は迷わず、「花芯」とつけました。
 一年以上も私の心にいっしょに暮していた、園子やその周囲の世界と別れて、今、私はからだじゆうがからっぽになったような、虚しい、きょとんとした気
持を味っております。
 私はあまりの悪評と、全くおもいがけなかった非難に、茫然とし、悲観し、一ヵ月寝ついてしまいました。
 その間に、私は見知らぬ多くの人々から、それらの批評とはおよそ正反対の、共感と感動との激励の手紙をいただきました。それらもまた、私には思いもかけない多数の、全く予期しなかつた熱烈な支持でした。
 私は、甘やかされないと、書けない弱さがあるのでしょうか。批評家の批評に、もう小説は書けないと、ほとんど絶望していたくせに、それらの未知の読者の愛情にふれると、のこのこおき上って、すぐまた小説を書きはじめました。それが「聖衣」です。「聖衣」はですから、いわば、「花芯」に対する好悪両極端の批評へのお答えのつもりで書きました。
 私はじぶんの貧しい小説に何の旗じるしもかかげようとは思いません。こういうものを書きたいと、人にむかっていうほどの抱負もありません。ただ、今のところは、私はコレットに溺れていて、年をとっても、あのような、艶やか支那子のような心を失わないおばあさんになって、いのちのおわる日まで、こつこつ書いていきたいと考えています。
 三笠書房の長越さんから、「花芯」を、書きこんでみないかとおすすめを受け、それをやりとげてみて、今、ほんとうによかったと有難く思っています。
(「あとがき」より)

 

 


目次

  • 花芯
  • 聖衣

あとがき


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