1993年12月、花神社から刊行された星雅彦(1932~)の第3詩集。装画は喜久村徳男。著者は那覇市生まれ、刊行時の住所は沖縄県浦添市。
この「マスクのプロムナード」は、ここ数年間に新聞や詩誌等に発表したものの中から選抜した詩二十三篇を収めた、私の三冊目の詩集である。
少し大袈裟に難しい言い方をしてみると、私という存在は、失敗の連続という生き方と相乗関係にある。いつしか私は、良くも悪くも南島人らしいテーゲー主義(大様さ、もしくは居直り精神、と汲み取って照射する見方もあるものの、おおかたは、なんとかなると考えるいい加減な姿勢を指す沖縄方言)の持主になっている。そのせいか怠慢な上にノンキなたちだから、およそ何事にも遅れてきた何かになってしまっている。詩の表現者としてもかなりの遅刻者である。
それだけに、もしかすると青くさいところがあるだろうし、未熟さから逃れられない若さが年甲斐もなくあるかもしれない。というのも一種の思い上がりかもしれない。突き詰めると、自分の詩については、よく分からないと言った方が正直な発露となるようだ。そして私の詩集発行には、個人的記念の気持もありはするが、一方では、書きたいことをどう表現したらよいか、多少の主張や方法論的な考えを模索しつつ最終的には分からないまま発表するに至っている。図々しいことには、それらを他者がどういう形で受けとめてくれるのか、という思いに突き動かされたという過程があるようだ。こうした似たような心理作用は、誰にでもあるのかもしれないが。
実をいうと、五十年以上も詩を書いてきたという「地球」主宰の秋谷豊氏が、その著書の中で「本当のことをいえば、私にはいまもって詩というものが分からない」と書いているのを発見して、私は少なからず驚嘆したのだった。そこには私に安堵感を注ぐものがあった。大先輩がそうなら、ましてや末端の私が間違っても、何もかも解ったような顔をするわけにはいかない。と同時に、例えば詩の歴史的体系への懐疑や不安をおくびにも出さずして、詩論を滔々と云々し、悟ったような顔をする詩人に出会ったときなど、その人に対し殊更に畏怖の念を抱くこともない、と気慰めに思うようになったのである。
ところで、石の上にも三年という言葉がある。しかし私は、辛抱して石を暖めてきたつもりはないし、何か報われることを期待する気持など毛頭ない。ただ私はいま、組上の魚の気持になっているので、誰かが少しでも料理して下さればと、密かに思うものである。
題名は那覇文芸に発表した「死者のプロムナード」という詩のそれを採用したが、あとで、装画を快諾してくれた、喜久村徳男氏の意見もとり入れて、最初の題でもあった「マスクのブロムナード」にした。マスクは生きた人の仮面でもあるし、イメージを広げた、領国をこめた。
(「あとがき」より)
目次
- 執着
- 九ミリの涙
- 寝正月
- 存在しない匂い
- 蠅たかる
- 走る思念
- 生きる空間
- アンビバレンス
- ゴミ異聞
- 空(くう)を走る
- 水の心
- はやがってん
- 人魚幻想
- 見張り
- ボーダーライン
- 歩く風景
- 嗟嘆
- デルタ慕情
- カオスの道
- マスクのプロムナード
- 南島の憂鬱
- 塵捨て場の煙
- 寄港地
あとがき
関連リンク
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