1980年8月、書肆山田から刊行された森内俊雄(1936~)の詩集。装画は赤坂三好。著者は小説家。
詩を書きはじめる、そもそものきっかけは何だったのだろう。私は、かつて、何故、詩を選んだのだろうか。身近かに詩人がいたわけではない。文学趣味の友人がいたわけでもない。にもかかわらず、詩を書き出した。そのきっかけは、いまとなっては思い出すのが難かしい。しかし、ただ、こういうことは言える。漠然として、つかみどころがなく、執念深い不安感が私をとらえていて、私はそれから逃れたがっていた。何か書きさえすれば、不安が薄らぐような気がしていた。だから、書きはじめた。
私は十五、六歳から詩を書きはじめ、二十歳まで続けた。そして、それから十年の空白がきて、三十歳になってから再び詩を書きはじめた。私はすでに結婚していて、三歳になる男の子の父親だった。その年齢で、また、何故、詩を書こうとしたのだろうかと考えてみると、自分の精神の荒廃ぶりに慄然とするところがある。私を詩に向かわせていたのは、やはり、とりとめもない往時の不安感だったからである。だが、この詩作の再開は長く続かなかった。私の不安は重症で、ある日、詩を書くつもりで原稿用紙に向っていると、それは行分けを拒み、散文となって、百枚の小説になった。これが文学界新人賞受賞作の「幼き者は驢馬に乗って」である。昭和四十四年の下半期のことだった。以後、今日まで小説を書き続けている。その意味では、ここに収められているこれら若書きの詩は、小説に到るひと連なりの私の精神の、あるいは気分の歴史である。十代の時の詩が大半であるが、作品の配列は年代順を追った。
長い間、机の抽出しに埋もれていて、今度、人の目にさらされることになった作品に、私は愛着と憐憫のないまざった気持でいる。三十歳を過ぎて詩を再び書き出した頃、三歳であった息子はいま高校二年生になっている。彼は丁度、私が最も熱心に詩を書いていた年齢になっているが、彼の目下の関心事は剣道の昇段と、アマチュア無線とオートバイである。この青春は、私の情屈した青春と何ら似るところがない。私はこの日頃、自分の詩集と息子を見較べて、不思議の思いでいる。
(「あとがき」より)
目次
- 春
- 五月の朝
- 風船
- 蹴鞠
- 臨終
- 飛翔
- 東
- 喪失
- フェニクス
- 朝
- 旅立ち
- 野外劇場
- マネキン
- 夢
- 透明人間街
- 床屋にて
- 家
- 星を拾う
- 十八歳の歌
- 海
- 成人史
- 光
- 涙壺
- 尾行者
- 授乳期
- 雨
- 夢の兵士
- 朝の顛末
- 春の埋葬
- 沈丁花
- 春のミイラ
- 気長な旅人
- 旅
あとがき
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