1967年12月、彌生書房から刊行された山室静(1906~2000)の詩集。表紙銅版画は駒井哲郎。
私は少年の日から好んで詩を読み、また多少は自分でも作ってきたが、詩人をもって任じるだけの自信或いはダンディズムには終始ついに無縁だった。自分ひとりのささやかな慰戯として断続的にそれを書いてきたにすぎない。生をうまく肯定できず、まして愛することのできぬ身に、どうして充実した詩が生まれようか。五十歳になった時、そんな自分を少しく慰さめたく思い、遺稿をあむつもりで詩に若干の小説を加えて「遅刻抄」をまとめてみた。しかしその後も思いのほか命長く、昨冬はとうとう還暦を迎えた。すると妻や子供や兄妹たちが小宴をはってくれ、数人の友や昔の教え子からも祝いの品をもらったりした。これは何か作品をまとめてお返しにあてるべき機会かと考えたが、適当のものがない。そのうちふと、その後に書いた詩篇がかなりの数に達しているのに気づき、それをまとめて知友に呈することを思いついた。
幸い彌生書房主が刊行を引受けてくれたので、数が足りぬところは旧著から補って、この小冊をあむことができた。はじめは「よせ詩集」と題するつもりだったが、書房主がそれはもう少し後のために取っておけというので、集中の最初の作の名をそのままに「時間の外で」とした。
読み返してみるに、いかにも柔弱低湿な精神の所産であって少しも俊爽の気がないのに長嘆する。詩とはこんなものである筈がない。しかし、詩がごまかしのきかないものであってみれば、これはどうにも詮方ないことであったろう。ただ、作者としてわずかに慰さめるところは、自分ながらこの種の詩境にはもはやどうしようもなくうんざりしているので、そろそろ脱皮の期が近づいているのではないかと思われることだ。この集をまとめたことが一つの踏切りとなればよいが。
今年の秋ももはや尽きて、小園の花もほぼすがれつくし、わが家はいま落葉に埋まっている。蛇も蛙ももう冬眠に入ったのか姿を見かけない。私も私の冬眠の中でしずかに廻ってくる季節を待つことにする。
(「あとがき」より)
目次
- 脱落抄
- 時間の外で
- 実在の浜辺で
- 棒のメルヘン
- 王様の耳はロバの耳―
- 初冬記
- グリーンランド上空にて
- ギリシャの廃墟にて
- 極北の港にて
- トロニエムにて
- ハイデルベルクの古城
- ローソクがみるみる短くなって
- 朴の木
- うらなり人生
- 秋雨の夜に
- 尾根の道
- 灰よせ
- 風もないのに青い林檎が―
- 相似形
- 静かな春
- かのように抄
- 蜜蜂
- 薬屋で
- 春はあやしい季節
- 脱皮
- 遅刻抄
- 李
- 五月のゆく日
- 胡桃の窓で
- 憩いの時
- 青い卵
- 台所の詩
- 哀歌
- 辛夷の春
- 朝
- 夕暮、碓氷峠をすぎて
- 好日播種
- 夕暮、小さい泉が
あとがき
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