女の日記 林芙美子

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 1946年4月、八雲書店から復刊された林芙美子の長篇小説。元版は第一書房(1937年)。

 

 ヘッセの言葉のなかに「人間と云ふものは實に妙なものである。たとへば新しい生活に、滿たされた希望のたゞなかにありながら、孤獨に對し、否それのみかつれづれと空虚な日々に對し、不思議にも刹那的な、たゞかすかに模糊として感じられる郷愁にしばしば襲はれるものである」と云ふのがありましたが、この思ひにたゞよふてみるみるやうな人間的な郷愁を、私はしみじみと感じとる事が出來ます。ながいあひだ、私たちはこの郷愁すら忘れがちな生活でした。戰爭と云ふ怖ろしい魔物にとりつかれて、私たちは慘酷なほどみじめな長い年月をすごしてきました。この戰爭をよく耐えて生きてこられたものだと思はずにはいられません。この敗戰はまたと得がたく尊い記念だとおもひます。枯れきつてゐた文化のさそひ水のやうな氣がします。あふれるやうな甘美な音樂や、正直に素直に書かれた文學や繪畫、あらゆる自然人類の美しいものに、私たちは心を波立たさせています。人類の郷愁であるところの眞理を求めるこゝろをいまこそ私たちは、さえぎられることがなく求めることが出來るのです。人を人がきづつけあふことなく、あたゝかいこゝろでよりそひたいものと念じてゐます。この『女の日記』は十年前の作品ですが、この作品は言はば筆者の郷愁のやうなものです。暫く京都に住んでゐましたので、京都の自然風物を描いてみたくおもっていました。長い戰爭がつゞき、もう再びこのやうな作品は世のなかに出てゆくこともあるまいとあきらめてゐたものだけに、この出版はたとへやうもなくうれしいものです。若い人たちのなかに、この作品のなかから共感を呼ぶものがありとすれば筆者の幸福これにするものはありません、消極的な、熱情のない文學なんてつまらないと思います。血みどろな文學心を藝術の神樣に與えて下さい。
(「序」)より

 


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