1922年12月、京文社から刊行された室生犀星の第7詩集。
この詩集がはしなく忘春と名づけられたのも、今から考へると何となく相應しいやうな氣がする。さまざまな大切なものを忘れて來たやうで、さて気がついて振り返つて見ても何ひとつ残つてのないやうな私には、この忘春といる美しい繊物の裏地をさし覗くやうな文字のひびきからして、しつくりと私の心かえぐり出したもののやうに思へる。私ばかりではなく誰人でも忘春の心があはただしく胸を衝くことがあるかも知れない。それだのに私は私らしく人一倍にそれを言はうとする迅りかけた心をもつものである。つまり私は私らしくをりをり自分の暮しのなかに何かを拾ひ蒐めやうとして、扨て何物をも拾ひ得なかつたかも知れない。あるひは私の拾ひ得たるのは瓦と石の碎片(かけら)で、さうして他に貴重なものがこぼれてゐたと言つた方が適當かも知れないのである。
も一つ私はこの詩集のなかで、自分の子供を亡くしたといふよく有り觸れた境致に、さういふ人生の真實に何時の間にかに觸れたといふことに、私は始めて驚いたと言つてよいのである。人生といふものは辛酸の續きであるといふより、私にとつて人生は結極美事な驚きをその悲しみより先き立つて囁いたからである。人一倍さういふことに打たれる私には、一切の哀愁よりも先づ私という微些な一個の人間が始めてこの世のものに、さうして人生といふものを解りかけたからである。平淡で、その上すこしの波動のない私の暮しの中では、何るのに増して私を驚かせたことは實際である。
これらの詩はどこか十九世紀の匂ひがするほど、古い言葉と形式とで充たされてあることも、私にとつては決して偶然ではない。むしろさういふ古い文語を選んだというより、ひとりでその形式を嚥み込んでそのまま呟やいたと言つた方が適當かも知れない。私が十年前に試みたやうな調子(トオン)をさへ含羞をもつて今もなほ、小娘の伏限がちなたどたどしさで歌はれてゐるのを見ても、まだ私の心には多分な抒情の萌しがあると言へるのである。しかし何となくこれが私の抒情詩としての最後のものであることが、なほ褪色ある春花を曇天の梢に仰ぎ見るやうなうら寂しさを感じるのである。
抒情詩といふものは穴藏にある古酒のやうなもので、年古くなると同時に芳醇と清澄との味ひをもつものにちがひない。いつの時代か繰りかへされてもかれだけは真實で小ぢんまりしたつやけし玉のやうにこつくりした光で、こうしてその光を永く失はない。――一人の詩人がもつ年若いころには、みなさういふ抒情詩を書く時代を經驗してゐる。それゆえその人はその抒情詩の時代をどれだけあとあとまで懐慕するか分らない。私にしてる今もなほその古いころと引續いた氣もちを多分に感じるものである。しかもなほそれをたまたま人生にあつたいじけた花の一つとして、ひそかに人知れず摘み取つて置きたいのである。
(「忘春詩集序言/室生犀星」より)
目次
・忘春詩集
- 忘春
- ふいるむ
- 馬守眞
- 象
- つれづれに その一
- つれづれに その二
- 南京町
- 筆硯に
- あきらめ
- 桃の木
- 晩い春
- 道草
- 童心
- 明代の陶器
- 禁斷の花
- ちちはは
- あるとき
- ちやんちやんの歌
・我が家の花
・古き月
- 緑のかげに
- 鯉
- 樹を眺む
- こころ
- 詩情
- 貧しきもの
- 部屋にこもりて
- 駱駝
・かげらふ
- 鹽原道
- 雨あがり
- かげなきもの
- かげらふ
- うぐひす
- 空中に
- 月
- 秋日
- 菊花
- 母と子
・歸り花を見る
- 歸り花を見る
- 蛾と母親
- 退屈な舟あし
- 小鳥だち
- かもめの青い斑點
- 柿
- 垣にそひて
- 蟻
- 舞踏
・小説
- 妓李十
- 龍樹菩薩
- 二人の娼婦
- 聖
- 偸盜
- 孔子
- 手毱
- お川師
- 石
- ヒツポドロム
- 龍
- 驢馬
- 少年(童話)
- 音樂時計(童話)
- 尼(童話)
- 唐氏
- 緑色の朝
- 蘭使行
卷尾に