みんなが遠ざかったあとで 田村夏子詩集

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 1991年12月、花神社から刊行された田村夏子(奈津子)の第1詩集。装幀は平田智香。

 

 一九八九年の三月から、私は父の看病のために、東京と松江を行ったり来たりしながら、父の職場であった病院の一室に住んでいました。
 この詩集は、一九八九年七月から一九九一年七月までのあいだに書いた作品で構成しました。主な作品は、『八つ海』『ざ』に発表したもので、その他は書き下ろしたものです。
 父が逝ったあと職場の本棚の整理中に、武者小路実篤氏の文庫本『愛と死』を偶然みつけました。私は思わず片づけの手をとめて、それを開いてみました。なぜなら私の「夏子」という名前は、その小説から、とってつけられたと聞いていたからです。その文庫の解説(亀井勝一郎氏)の部分が、大きく折られておりそこには次のような文が引用されていました。

「死んだものは生きている者にも大きな力を持ち得るものだが、生きている者は死んだ者に対してあまりに無力なのを残念に思う。しかし死せるものは生ける者の助けを要するには、あまりに無心で神の如きものでありすぎると言う信念が自分にとってせめてもの慰めになるのである」(『愛と死』本文より)

 その小説の主人公が「夏子」という人で、初めてこれを読んだ中学生の頃、「風邪で死んでしまうような主人公の名前をつけられては不安な気がする」というようなことを、読書感想文に書いた覚えがあります。
 しかし、この折られたまま永い間、眠っていたページを見たとき初めて私は、父の気持がわかりました。
 自分の言葉を早急に得る必要があったにせよ、それまで歌詞しか書いたことのなかった私の、現代詩からは少しずれているように思われた作品に、阿部岩夫氏はいつもきちんと向きあってくださいました。そのおかげで、父の死を辞かに見送ることができました。
(「あとがき」より)

 

目次

  • 寒い言葉
  • 今なら
  • どんなときも
  • 七番目の馬の首
  • みんなが遠ざかったあとで
  • 手紙
  • 音楽
  • 6月じゃなくていいから
  • 第七感の日々
  • 弱虫なふりして
  • ウォール街
  • イヨマンテ
  • カウントダウン
  • ゆび
  • チュニジアの風
  • ドリームホスピタル
  • 夜の浅草
  • 失わなければ
  • 水曜日には
  • 遠い石の記憶
  • 巨人の輪舞
  • 神在月の放課後
  • スターダスト
  • 朝の川

反照としての日常――阿部岩夫
あとがき


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