1948年2月、雄鶏社から刊行された網野菊(1900~1978)の短編小説集。装幀は若山爲三(1893~1961)。
この短篇集は私の作品集としては九番目に當たる。太平洋戦争終戦後昭和廿一年六月から廿二年六月までの丁度一年の間の作品からの物ばかりであるが、「母」「郵便やさん」「會見」「弟」「花束」「ダリアの花」は罹災後一年程身を寄せていた北澤の父の家で書いた。「別れ話」「正直」「他人の不幸」「冷たい心」は其の後移つた成城の雜小屋で書いた。雜小屋では丁度まる三月過ごした。「十年」以下は目白の女子アパートに移つてからの作品である。父の家では、冬など、朝三時半頃から起きて御飯たきにかかつたり配給物とりに忙しかつたりしたが、その割に書き物は出来た。前作品集「街の子供」の中に収めた「憑きもの」その他幾篇かも其の家で書いたから、仕事をするにはよかつたやうだ。併し、ずつと居たなら病気になつたらう。雜小屋は寒くて、そして淋しかつたが、一種の休養にはなり、そして来訪者が少くて読書などには好適だつたから、小屋にお金をかけた事は全然無駄ではなかつたわけだ。住居のことを考へると、ため息が出るが、生きてゐるうちは、そんな苦勞は當然の事といふべきかもしれぬ。目白のアパートに移るについては、私は其處で父の死の報を受けさうな豫感がしたのであつたが、雜小屋に住みにくさに、敢へてアパートに移つた。此の北向きの小室に移つて二た月半程すると、私は、それ迄丈夫だつた父の急な重態の報を受取つた。豫感が當つたのであつた。此の作品集は題も「花束」だから、亡き父に捧げるとすればいいわけだけれど、さうすることは何か白々しい、照れた感じで、さういふ気持になれないのは、結局、父との縁がうすかつたせゐかもしれない。(「あとがき」より)
目次
- 母
- 郵便やさん
- 會見
- 弟
- 花束
- ダリヤの花
- 別れ話
- 正直
- 他人の不幸
- 冷たい心
- 十年
- 實績
- 足袋カヴー
あとがき