1938年7月、砂子屋書房から刊行された徳田秋聲(1872~1943)の随筆集。
私は隨筆文學を餘り好かない。俗間の俳諧、書畫、茶の湯、造庭、盆栽、音曲、圍碁などと同列に日本人の隱微な道樂の一つに數へることも出來るとくらゐに、若い時代には思つて來たものである。今でもさう云ふ觀念から全く脱出した譯ではなく、徒然草や方丈記の系統のものはやつぱり隱遁者の一つの道樂で、本格的な文學とは言えないのではあるまいかと思ふのであるが、しかし俳諧癖や書畫趣味や、盆栽道樂が、日本人の生活とは切つても切れぬ美的生活の一面であり教養であることも爭はれない事實である。隨筆は或る時は自由形式の論文であり、或る時は巧まないコントであり、自然發生的な散文詩であり得る。しかし私は何の意味からいつても隨筆家といふには、餘りに物を知らなさすぎる。從つてここに集めたものが、所謂る隨筆であるか否やも疑問である。大抵或る一つのポイントをつかんで印象的に書いたやうなものばかりで、その時々の新聞紙上ではいくらかの刺戟くらゐにはなるとしても、時がたつに從つて光を出して來るといふやうな種類のものでは斷じて有り得ない。たゞ何時までたつても完成老熟しない私の人生觀の閃きではある。
砂子屋主人の好意で、これを出版するに當り、編輯と校正は一切一穗がやつてくれたのである。それといふのも、私は自分の書いたものを取扱ふことが嫌ひなためであるが、老來記憶力の減退とともに、同じことが二度繰返されてゐることもあるさうである。讀んで訂正すべきだが、今はその靈にしておくことにした。
昭和十三年七月十七日晚、ちやうどこの日この明け方に死んで行つた長女端子を思ひつゝ。
(「序言」より)
目次
- 灰皿
- 雜音騷音
- 花・水鄕
- 猫
- 風呂桶
- 生活斷片
- 俗談平語
- 心頭凉味
- 夏の享樂
- 鰒・鶫・鴨など
- 田舍の春
- 春の辭
- 新春雜感
- 酒と煙草
- 東京と自然
- 紋章談義
- 四名家第一印象
- 二月の月評
- 長篇四五讀後感
- むだ言
- 序言
書評等
徳田秋声の随筆集「灰皿」1(ほのぼの日和)
徳田秋声の随筆集「灰皿」2(ほのぼの日和)
徳田秋声の随筆集「灰皿」3(ほのぼの日和)
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