空中婚 岩井昭兒詩集

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 1978年7月、私家版として刊行された岩井昭兒の第1詩集。装幀は坂野豊。

 

 これは、一九五五年頃から七七年の、およそ二十年間、ノートの片隅や手帳の余白などに、走り書きしたるのを掻き集め、手を加えた私の最初の作品集です。
 戦後まもなく、地元「横浜詩人クラブ」の会合に、混ぜてもらってから、詩のようなものを作り始めたのですが、機関誌に発表できたのは、ほんの一・二篇で、東京へ移住してからは、先輩とのつきあいる、しだいに途絶えていきました。
 当時、師匠格の扇谷義男を核にして、惜しまれつつ亡くなった人見勇・半沢義郎、インテリやくざの吉川正一、今や高名なる四次元の芸術家松沢宥、NF作家北川幸比古、歴史小説家兼競馬評論家の赤木駿介、といった異才たちが、月に一度熱っぽい顔を揃え、作品を批評しあったり、焼酎を酌みながら議論を戦わせたものでした。家の近い近藤東・乾直惠、同人の親しい先輩や友人である笹沢美明岩佐東一郎・木原孝一・長島三芳(以上敬称略)といった人達の声を、今でもはっきり思い出します。
 それから十年余り、全く詩作を中断していたわけですが、それでも、感心して読む詩は、私の意識の焰をかきたてる、いわば酸素のような役割りを果たしてくれるらしく、内外の気に入った詩集を、なにかと手に入れ、一冊ずつ持ち歩く習慣が、いつの間にか身についていました。”表現の不可能性の予感。私はゴーキーの絵を、まるで自分の絵のように感じていたことがあった。”そんな、宇佐美圭司という画家と同じ心境で、他人の詩に溶け込んでしまう自分を見ていたのです。

 さて、詩集というのは、作者の制作過程の、限られた或る年代・或る期間の何処かに、確実な位置を占めるものであって、その時の生(なま)の息使いや禱りの声が、聴こえてくるのでなければ、面白くありません。また、全体が一個の魂の振幅を現わし、収録作品は互いに、有機的に作用し合いながら、在るべき順列を保っている。更にどのページを開いても、一つの主題の持つ、さまざまな断面の美しさが、鮮かに迫ってくる。それが、他の文集との著しい相違点であり、全集とは違った意味での、詩集本来の佇まいなのでしょう。
 そんなふうに思うと、この『空中婚』を、果して詩集と呼んでいいのかどうか、もう一つ、すっきりした感慨が沸いてこない。などと書いたら、気障な言いわけになるでしょうか。二十年となればふた昔。どれほど凡庸な精神といえども、幾度かの変容を起こすに、十分な時間ですから、その間の作品を一冊にまとめてしまうと、どうしてる主題に統一性を欠き、スタイルバラバラになってきます。やはり五十に近づいて、初めて詩集を纏めようとする試みそのものに、かなり無理があるようです。尤も”詩は老人の芸術である”などと皮肉る人(安東次男)ゃいますが。

 もともと、詩集を作る気持など、毛頭なかった私が、何故急にそんなことになったのか。動機はさぞや、興味深いものがあるだろう、と想像されるなら、これが期待外れるいいところで、その単純さ加減に、我れながら呆れるばかりなのです。旧友Sとの約束――。彼から贈られた見事な油絵の代償として、印刷された詩集の本を作り届けること。私は絵を描きますが、それを彼は少し気に入ってくれません。そして或る日突然、人を呼び寄せておいて、赤面するような昔の詩を暗唱してみせ、懐しがるのでした。
 Sは、昨年の暮から健康を害し、療養生活に入っており、この約束を守るため、私は一日早く《詩集》を、完成させねばならなくなりました。一冊の本を自前で作ることが、どんなに大変かを、思い知らされる羽目となりました。いずれにせよ、人々の助力があって、本は出来上がり、Sの枕元に持参できる日が近づきました。途中、できる病状が停滞していて欲しいと、けしからぬ願いを抱いたことを、白状します。それからもう一つ、彼はできる事なら、縦組み・左開き、つまり左から右へ読む本にしてくれ、と注文をつけました。私めその意見に賛成でしたが、今回は或る事情により中止しました。

 書名の『空中婚』とは、何のことか、念の為書き添えると、これは、トンボやチョウなど、有翅類の昆虫の世界で、飛行する雌を見つけた雄がプロポーズし、成功するとその群いが、連結したままランデヴーを行う、あの、空中での行動を指します。鼻垂れ小僧の頃、Sたちとその”ツルミ”のギンヤンマを夢中で追い駆け、肥溜めに落ちたりしながら、芋畑を荒し回った夏の日々が、懐しく想い出されます。

 最後になりましたが、後序を気持よく引き受けてくださった、畏兄原子公平さん、”突きぬけるようなポエジーを書こう”と、励ましてくださった北村太郎さん、学生時代から暫らくお世話になった、扇谷義男さん、そして、装丁をしてくれた坂野豊さんに、心からの御礼を申し上げます。
 今は聖霊のみを宿すSと、総ての生物たちよ、どうか健やかに。さようなら!
(「あとがき」より)

 

目次

・水葬

  • 水葬
  • 渇き
  • 離別
  • 彷徨
  • 脱出
  • 白いミサイル
  • 海鳥の絵

・空中婚

  • 空中婚
  • 均衡
  • 意志
  • 摂理
  • 昼と夜
  • 陽炎
  • 感傷的
  • 不運な鮭
  • お手拳げ
  • 悲願
  • 螳螂記

・登場人物

  • お知らせ
  • 画商
  • CM・フィルム
  • ワカラナイヒト
  • 登場人物
  • 演歌
  • 天国と地獄
  • UFO
  • お婆さん

・パドレ・パライソ

  • 澳門
  • パドレ・パライソ
  • 黒い噴水
  • ラパヌイの島
  • サクラの園
  • クメールの謎

・聖域

  • ムツゴロウ
  • もあしび
  • 南海料理
  • 聖域
  • 宝石の活用形

岩井さんの人と作品 原子公平

あとがき

 
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