1956年6月、現代詩研究所から刊行された石川逸子(1933~)の第1詩集。表紙は南川周三。
一九五二年からだいたい五五年までの詩をまとめて見た。その間私はなにをしていたろう。たしかに一四六○日余の毎日を過してきた筈なのに「これこそその証拠です」とさし出せる物件は何もない。僅かにここに収めた詩その他幾篇かの詩によって、幸うじて過去の私の存在が影のような薄さで立証されるだけだ。このような生き方にピリオドを打ちたい気持もこめて、捨てさるにはやはりなつかしい詩いくつかを上梓する。長田先生や現代詩研究のグループの方たちが、この贅沢を本当に優しく認めて下さった事は有難いことだった。南川周三氏には装釘までして頂いた。五年ほど前、長田先生によつて始めて現代詩について教えて頂いた頃と今と、遠くへだたつたようでいて余りにも変つていない自分。生きる事は何とさびしく何と複雑な事だろう。
ただ前よりは心のどこかで消えないあかりを持ち得るようになった気もするのだけれど、ほんのそれが幻影だとは思わない。もし私のこの詩集が未知の誰かの為にほんの一ときでもいい、一つのあかりとなる事があったらどんなに嬉しい事か。今の所それは不遜な願いであろうけれど、その為にも今後、本当の詩だけを書いてゆきたい。
(「あとがき」より)
目次
- 狸との散歩
- ビワの花びらに
- 息子たちの遺書
- 集会
- 仮面
- 墓地につもる私たち
- 半蔵門にて
- 秋
- 仕事
- 悪童と笛
- 月の光りのなかで
- 熊の葬いの日に
- 草のうた
- 風土
- 屍体行進
- 月がほろびたあと
- きりぎりすの死
- ポプラになるわけにはゆかない
- 日に三度の誓い
- やさしい樹のように
跋・長田恒雄
あとがき