1993年8月、思潮社から刊行された征矢泰子(1934~1992)の遺稿詩集。征矢は1992年11月28日に自死。装幀は征矢剛。附録栞は新川和江「生と死の修辞学―句点の打ち方」、新井豊美「生きる痛みを語った『花』」。
鎮魂歌(レクイエム)は歌わない
――Yにほんの昨日まで
あなたはいかにも手なれた身ごなしで
すれちがう無数の人たちをやりすごし
なげかけたことばとなげかけられたことばのはざまを
ほとんどなんの苦もなくすりぬけていったので
あなたはもうとどのつまりまるですきとおってかろやかな
空気のように日常のなかにあった
ほんの昨日まで
にぎやかに談笑しすこやかに飲食し
夜ふけのベッドで妻を抱きしめたとしても
あなたがそこにいるそのことに
だれひとりつまずくことはけっしてなかった
そして突然
あなたがひとつの死体になったとき
なんとたくさんのひとたちが
たったさっきまであなたがそこにいたその穴の深さ
におどろいたことか
もはや身じろぎひとつしない死体の重たさに
ひとりひとりがめいめいのやり方でつまづきながら
ひとびとはたぶんはじめて
あなたとめぐりあったのだ
死体になったあなたから
あなたすら知らなかったあなたの精魂が
しみじみと・かつはまぶしく晴れがましく
つぎからつぎへとたちあらわれて
あなたはかけがえもなく生きたことを
ついに証ししたのだった
(絶筆)
目次
Ⅰ
- 五月
- そのみちへ
- 牡丹
- 落葉
- 花の行方
- 天性
- バラ
- 曼珠沙華に
- 梅
- 雪柳
- 蓮花
- セイタカアワダチソウ
- 夫婦松
- 植物園
- 竹林夢譚
Ⅱ
- りんごの食べ方
- 棄児たち
- 幻嗤
- 葬送パーカッション
- さくら夢
- 王様の耳はロバの耳
- 愛のあわい
- 怨歌・真紅の腰巻きのための
- 旅立つ夏
- センチメンタル・リレイション
- 一すじの関係。
- 招魂
- FINAL EXIT
Ⅲ
年譜
鎮魂歌はうたわない(未発表絶筆)