1995年11月、五月書房から刊行された大熊利夫の評論集。装幀は田淵裕一。
村上色彩技術研究所で十年間色彩関係の機器を設計していたころ、『COLOR SPACE』という社内報に、色についての歴史的、哲学的テーマのレポートを書いたことがあった。
これがきっかけとなって、色の技術的測定ということだけではなしに、歴史的、民族的、社会的、言語的、哲学的側面に興味がわいてきた。
一九七〇年に「色の科学と哲学」という小論をまとめ、これを土台にして第一回「戸坂潤賞」応募論文に「分析哲学の似非『科学論』批判色彩と唯物弁証法」を提出し第一次および第二次選考をへて受賞候補論文になった。
その後も人間の感性的側面をつかむことと理性的側面とのかかわりあいを明らかにする上で、近代日本文学をとりあげその色彩思潮を調べつづけてきた。
今回まとめたものは、明治以降の作品のなかで色をとりあげながら、日本の近代的知性の流れを明らかにするためだった。
この本で明らかになった近代的知性の流れが、大正・昭和期にどういう変遷をたどるかは次の機会にゆずることにしたい。
これらの作業は、主な小説の色彩語をひとつひとつ拾って、分類整理することから始まった。拾った色彩語の数は目こぼしもあり、かならずしも正確ではないかもしれない。だが、私の目的にはデータとして十分だった。
たまたま、五月書房の鶴田社長にお見せしたところ、親しみのあるわかりやすいものに書き直せないかというお話だった。
ところが書き直しているころ、体調を崩してしまい私は何度かペンを折ろうと思ったが、鶴田社長のはげましでとにかく一冊の本にまとめることができた。
しかし、読みかえしてみると意外な誤りに気がついたり、舌たらずのところがかなりあった。これらのことについては、編集にたずさわった早野英彦氏にひとかたならぬお世話になってしまった。
心から感謝する次第である。
(「あとがき」より)
目次
まえがき
- 色彩語から何がわかるか
第一章 江戸の色 鼠・茶・藍のいきな色
- 根岸の里に残る江戸
- 江戸の「いき」と上方の「粋」
第二章 明治の色 時代の色は特定できるか
- 白という色彩語
- 特定出来ない明治の色
第三章 近代文学の成立とその形成期
- ロシア的知性と円朝落語
- 「地の文」に集中する色彩語
- 赧い顔と塩引きの肌
- 借り物でない感性
- 独歩の欧化主義
- 土地勘のない「武蔵野」
- 借用されたロシアの光景
- 揺れ続けた三十七年の生涯
・徳富蘆花の豊かな色彩観
- 画家コローと蘆花
- きわだって多い色彩語
- 蘆花の音楽観と色彩観
- 単なる自然詩人としてでなく
- ドーデ「月曜物語」と「自然と人生」
- デッサンに培われた眼
- 「湘南雑筆」の四季
- なにものにも束縛されない感性
・長塚節 『土』の写実精神
- 沈痛なる白
- くすんだ赤と黄色
- ものを見る眼
- 素手でつかんだもの
・正岡子規俳句の詩と真実
- 色彩の対比を巧みに生かす
- 色彩の連想語を多用
- 写生説の急所はなにか
- 誤解された写生論
第四章 色彩から見た自然主義文学の展開
- 浪漫派の色彩が華やかとは限らない
・田山花袋『蒲団』と『生』
- 具体性に乏しい色彩表現
- 芳子の白い顔
- 『東京の三十年』と花袋の感性
- 『生』の寂しい白
・『田舎教師』による自然描写の変化
・正宗白鳥の世界
・徳田秋声における心理と色彩 ・後期に減少する有彩色語
- 蒼白い顔と心理描写
- 浪漫派鏡花との比較
- 時代を見る鋭い眼
- 寒色系色彩語はなにを象徴したか
- 自然主義作品に多い寒色系
第五章 漱石と鷗外にみる色彩
・『三四郎』における輝く白
- 九州色という新造語
- 重畳法で厚く塗られた色
- 美禰子の白い手帛
・『それから』の不安な赤
- 代助の心を象徴する赤
- 美禰子と三千代の手帛
- 「眼球から色を出す」という表現
- ジェームス心理学の影響
・思想的小説としての『門』
- 主調色としての黒
- 眼で見たままの色彩でなく
・遺作『明暗』と色彩
- 無彩色は多いが主調色はない
- 自然意識を問う「明暗」
・森鴎外の色彩観
- 平凡で乏しい色彩表現
- 鷗外と茂吉の差
別表一 色彩語の種類と頻度数
別表二 作品別色彩語の度数分布
別表三 色彩語と年齢の相関係数
引用・参考文献
あとがき