2010年1月、ミッドナイト・プレスから刊行された中村剛彦の詩集。装幀は古屋知章。
何のために詩を書くのか、詩とは何なのか、ずっと問い続けてきたが、答えは全く見えてこない。いやそもそも私が書いているのは詩なのか。このようなものは詩とは呼べないのではないのか。そうした疑念がいつも脳裏にある。古今東西の多くの大詩人が提示している答えを読みあさってみても、解決はしない。
ただ一つ言えることは、詩を書き始めた十代終わりから、一人、私とともに詩を書いてきた友人がいたという事実だ。彼と私は、お互い詩を書く上で、あたかも空気のような存在であり、常に最初にできあがった詩を読み合う親友同士であった。つまり詩を書く行為が、互いの承認を得ることで初めて成立していた。だから私は、当初の疑念はそのままに、詩を書き続けることができた。
しかし、二〇〇六年十一月二十一日、その彼、金杉剛が突然この世を去った。三十一歳であった。
私の心は凍りついた。もはや詩は書けない、いや、詩だけではない……。しばらく、ただ立ち竦むだけであった。思い切って詩をやめてしまうことも考えた。しかしそれは、彼との長い友情を無に帰することでもあった。彼と最後に会った夜、私たちはこれからが本番だ、真剣に詩を書いていこうと約束をしたのだから。しかし、どうしたらいいのか。ただ迷うばかりであった。
この詩集は、そうした私の中での、極めて個人的な堂々めぐりの、精神の遍歴を記したものに過ぎない。そもそもの疑念は今も払拭できていない。むしろこれを編むことで大きく浮かび上がってきたとも言える。そして、彼が残した数少ない詩に目を通し、いま気がつくのである。彼はあのときすでに自らにその答えを与えていたと。
(「あとがき」より)
目次
序 残照
Ⅰ影と罪
- 隠されたもの
- 風の声
- 驢馬
- 詩人の目
- 生者の手
- 帰郷
- 焼けた手紙
- トランプ占い
- 瞑想する男
- 道化の誕生
- 神々の裁判
Ⅱ砂漠へ
Ⅲ月とノート
- 終わらない
- 喪失
- αの詩のために
- 生命について
- 深い穴
- 鬼火
- 緊縛
- 雪解け
- 月光
Ⅳ導かれた場所
- 母
- 市民病院脇のハンバーガー店にて
- 病棟
- 煙
- 夕暮れ
- 虹
- 海岸
- 灯火
あとがき